以下はかなり前に書いた文章です。
でも今再び自己責任論が出てきた中、自分なりにまとめたのがこの記事だったので、しばらくトップにおかせてもらおうと思います。
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ドバイ到着高遠さん「ごめんなさい」=日刊スポーツ
長丁場の戦いの末に開放されましたね。このことは素直に喜びたいと思います。
今回のことは私も色々考えましたが、色々な方の意見を読んだりして、参考になりました。
特に、この時期にイラクにいくことについては、やはり基本的には行くべきではないという意見に落ち着きました。それでも例えば高遠さんのように面倒みていた子供の事情などで、どうしてもいかなければないないということや、どうしても行きたいという気持ちを抑えられない場合には、やはり遺書に近いものを作成して、家族に対しても覚悟を示して了解をうけていくことが望ましいでしょう。
こうした勇気というか、誠意といったものを発揮して行動できることは素晴らしいことだと思うし、行動力が足りない自分にとってはうらやましいことですらあります。しかし、その気持ちの高ぶりだけで、回りの状況も考えずに盲進してはその気持ちも台無しといったところでしょうか。
今回海外の事例を見ていると、
テロには屈しないとして、徹底的に無視政府は交渉さえしないという姿勢をみせています。イタリアはこの姿勢の為、事件を起こした集団が自尊心をきづつけられたと怒り、本当に残忍なことに殺害という結果になってしまいました。
しかし、イタリアのベルルスコーニは姿勢はまったく変えることはないという方針をしめしています。アメリカなどもはっきりしています。ハミルという人が集団に拘束される様が世界中に放映されましたが、政府としての行動は一切行っていません。
また、アメリカの例でいれば、狂牛病に対する国の対策も大きく違います。科学的には大丈夫という範囲に検査したと主張するアメリカ政府、全頭検査を条件とする日本との間に相違があり、まだ輸入再開にはいたっていません。このことに対して、アメリカ国民はどうおもっているのでしょうか。平気に吉野家で食事するアメリカ人にインタビューする放送がありましたが、国に対する要望を出す人などひとりもいませんでした。そこには個人主義という考えというか、政府に期待するのではなく、あくまでも自己責任で判断して食べているというのです。
こうした考えをするアメリカのことです。今回のハミルさんの事件で、もし殺害されても国民の多くは「ハミルさんは自己責任のもと、死んでもいいとしていっている」と発言する人が多い事と思います。そんなことよりも、テロの連中に少しでも譲歩して、テロが増えるということがあれば、さらなる被害がでるという考えがもとにあります。
アメリカで進歩している心理学にこうした考えがあります。これは心理学の行動主義という考えですが、とてもシンプルなもので、人は自分が喜ぶものが与えられたら、行動が増える。一方人がなによりも嫌なこと、それは無視をするということですが、それが行われるとその行動が減るというものです。なので、少しでも相手にすることはその行動を助長させることになるという考えが浸透しているのではないかと推論します。
日本は人質交渉がへたという世界的評価があるようですが、それはよど号などの事件で相手に譲歩があったというものです。こうした対応が世界の事件を増やすことに繋がるという批判です。今回のことも、欧米の国としては、交渉ごとをもってしまったこと自体を批判するマスコミもあるかもしれません。
一方中国、韓国といったところは国での対応が見られたことから、アジアと欧米の考え方の違いなのかもしれません。このことを思ったときにダバディ氏のいきすぎた個人主義という言葉が思い浮かびました。個人が責任を持つから、これだけの自由を与えられるのだという大原則は確かに重要ですが、私はあまりにドライすぎるのではないか、それはいきすぎではないかとも思います。ダバディさんや、日本やアジアに魅力を感じてくれている人は、こうした考えに欧米にない感覚を感じているのかなと感じます。
これは本当にデリケートな問題だと思います。軽々しく発言はできないけれども、今回日本的な考えで、『自衛隊の撤退はできないけれども、出来得る限りのことをやる』と行動した政府は人質事件に関しては合格点を与えられるのではないでしょうか。
しかし、そもそも戦争は必要だったのかというのも、私は疑問だし、それを指示した日本政府にも違和感を感じています。このことについてはまだまだ論拠がないので、感情レベルの話です。
私はニュースに対して同情的になりやすいと書きました。それは人に対しても、同じです。これを元に判断を誤るということも多いです。告白すると、あの日本史上例のない残酷な事件を起こした「オウム」に対しても、連日の報道をみていて、まるで映画のようだという不謹慎な気持ちをもったり、同情的な気持ちをもってしまったこともありました。間違った同情の気持ちから、当時も少なかったオウムの危険を訴え続けたジャーナリストに対して、抗議などをしたら、それは大罪人の肩を持つということになってしまいます。
北朝鮮の拉致事件なども同じです。当時から、北朝鮮が怪しいと国やメディアが正しい目をもち、行動していたら、もっと早くに解決に向かったかもしれません。当時は北朝鮮もそこまではしないだろうという意見が一般的であったようです。一部の人の意見を聞かずに手遅れになってしまう。人は本当に流されやすい性質があります。
社会心理学にこんな調査があります。丸いテーブルに20人を座らせて、「真ん中にあるボールは黒いか白いか」という質問をさせた。ボールは誰がみても黒いものである。しかし、一人以外はサクラで、白と答えろといわれています。回りの全員が「白」と答える中、おかしいなと思いながら、その人は「白」と答えたのです。これほど集団心理というものは怖いものです。日本人はこういった集団心理に弱いのではないかと経験からも思っています。いじめの心理も同じようなものでしょう。確かにその子は悪い事をしたということも多いのですが、みんなが無視をする、するとその子がかわいそうとひそかに思っている人でも、助けようなんてことをしたら、「正義漢ぶるな」と叩かれるのではないでしょうか。日本人の出る杭は打たれるという島国根性は大嫌いですが、それもこうした心理が関係していそうです。
私もこうした意見をいいながら、流されてしまうことがあります。しかし、大江健三郎も自書の中で、『自分で判断できる目を持ってください』と訴えていました。また、『そのために教育はある。教育とは前人の意思を継ぐものでもある。』と。我々は幸いにも前人たちのおかげで教育をうけられる立場にいます。せっかく教育をうけたのですから、自分なりの考えを持ち、その考えにのっとって行動したいものです。
私もまだまだそのことは実践できていません。同情的になりやすいという点もあります。しかし、全て欧米のようにドライに考えればいいというのは、賛成できません。人に対する思いやりがなくなったら、なんと寂しい世の中でしょうか。ある人のコラムにこういう引用がありました。『善意と純情といったものは、大義名分があるだけにたちがわるい。』というものだ。確かに私は正しいことをやっているという大義名分をかざせば人はむげにはできない。余計なお世話だなぁと心で思っても、『ありがとう』といわなければならないというのだ。確かに回りの見えてない親切ほど、迷惑なものはないだろう。私もこのことには十分に気をつけたい。相手の気持ちを考える。状況を考える。広い視野をもって行動するといったことが大切になるだろう。同情的になりやすいというのは、私の弱点でもあるし、しかし、同時にいいところだと思うのだ。判断を間違ったことから、変な同情などせずに正しい判断の元に行動したい。
例えば、こういうこともある。その人ははっきりいって仕事ができない。周りからも本当に叩かれているかわいそうな人である。私はどちらかというとその叩かれている人に同情してしまう。しかし、このことは会社にとってはどうなのだろうか。一人の無能な人に無駄な資金を払っているのである。その人にとっても、そういわれることで、成長できる、はじめてわかる部分もあるだろう。それを私が例えば力がある人間だとして、その人を会社に残してしまったとする。そんなことをしたら、へんな同情心から、その人が成長する機会を奪ったという事に、ひとつの見方としてはなるだろう。こういったまちがった同情心は本当に気をつけなければならない。優しい言葉をかけてやる気にするということは、もちろん有用な手段だ。しかし、その人が反省すべきことをきちんと指摘することもやさしさ、ただしい同情心なのだろう。ニュースに対しても一緒だ。へたな同情心が罪になることもある。正しい判断を出来る人間になりたい。
そのためには、色々な失敗が必要になるでしょう。私のいい部分をいかしつつ、正しい判断のできる人になりたいと今回のことで考えさせられた。
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