空白の理由 4

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3-E

「始めよう」
 口の端をきゅっと締めて、私は言った。それを合図に、私達はどちらともなく目を瞑り、記憶を探り始めた。そして私達に関する『幸福』の記憶を探り始めた。

 私の中に無数に漂う『幸福』の記憶。小さかった頃からつい昨日のことまで、あるものは鮮明に、あるものはぼんやりと存在していた。鮮明な記憶には父さんのことや、親友のこと、それに昔の恋の記憶があったが、私はその中から雄介との思い出を探した。比較的最近の記憶だからかもしれないが、それらは色や輪郭だけでなく、音や匂いまで封じ込めていた。水の透き通るような青、道路の滑らかな曲線、街の喧騒、そして煙草の香り。それらが互いに共鳴しあって、記憶はいよいよ鮮やかなものになる。
 やがて私の中で雄介が出来上がった。今目の前で、私と同じように記憶を探っているはずの雄介。その後ろには、私の知る、過去の雄介が無数に並んでいる。
 私は列の一番後ろに立っている。雄介に近づいた。

 一人暮らしを始めてから一年半。別に欲しいものがあったわけではないけれど、単純に興味本位でアルバイトをしてみたかった。毎日毎日大学とアパートの往復という生活にうんざりしていたし、何より友達のアルバイト先での話を聞くと、何だか面白そうに聞こえたからだった。
 と言って、何か希望の仕事があるわけでもなかったので、近くのコンビニのアルバイト募集に応募してみた。私は深く考えずに「給料が少し良いから」という理由で、早朝の時間を希望した。これが間違いであり、でも正解でもあった。

 最初は午前三時起きは苦ではなかったけど、二ヶ月過ぎた頃から、疲労と睡眠不足が本気を見せ始めた。それに加えて、早朝のコンビニは商品の入れ替えが激しいくせに、お客さんがほとんどいない。ポツンとレジに突っ立っていると、自分が何故ここにいるのか分からなくなる。
 結果、私はレジの奥でぼーっとしている、よく分からない人になってしまうのだ。
 このぼーっとした感じがピークに達した、ある日の午前五時頃、若い男の人が入ってきた。入ってきたのは分かる。ただ分かるだけで、それ以上のことは何も考えていなかった。
 男の人は私の視界のあちこちをチラチラ動き、やがて私の目の前で止まった。目の前に止まったことは分かる。ただ分かるだけで、それ以上のことはやはり何も考えていなかった。
 だから「あの…、レジ…。」とその人が喋った時、私は文字通り飛び上がったのだ。
 こういう時、マニュアルというのは大した物で、頭が混乱状態にあっても、身体はちゃんと動いてくれるのだ。私はマニュアル通りに深々とお辞儀をして「いらっしゃいませ!」と応対し、商品は何だか分からないが、レジにバーコードを流し込んでいく。
 最後に掴んだものが銀色だったので、私の身体はマニュアル通りに、「こちら、温めますか?」とお聞きした。
 すると、それまで動いていなかった私の頭が急に目を覚ました。視点が目の前の男の人の顔に止まる。目をまん丸にしている。そしてぷっ、と吹き出した。
 この人は何がおかしいんだろう、と思ったが、次の瞬間、私は自分の持っている商品に違和感を感じた。形だ。四角くない。むしろ丸い。はっとして手元を見る。それは弁当ではなく、鍋焼きうどんだった。
「うわっ…。」
 そう、おかしいのは私だったのだ。あまりの恥ずかしさに再び混乱状態になった私は、再びマニュアルの虜となって「失礼しました」と応えて会計を続けた。冷静を装うが、頭の中は「どうしようどうしよう」と恥ずかしさで一杯。こういう時、店の中がお客さんで一杯なら、騒がしさで気が紛れるのに、今は人気のない午前五時。静けさが直接気まずさとなって私に突き刺さる。
 ようやく会計を終え、代金を受け取ろうとした時、男の人と目が合った。恥ずかしさの頂点だった。私に残された手段は、笑って誤魔化すことだけだった。

 何日かして、また私がぼーっとしていると、「あの…おでん…。」と声をかけられた。いつの間にか目の前にあの男の人がいた。私はまた同じように飛び上がり、同じようにマニュアル君になり、同じように失敗した。いや、おでんのタマゴを割ってしまい、商品を駄目にしてしまったのだから、余計悪い。
 前は笑って誤魔化したが、あの後、家に帰ってから、枕を抱えてうーうー唸ってしまった。そのくらい恥ずかしかったのだ。なのに同じ人に同じことをやってしまったのだ。悔しくて、情けなくて泣きそうになってしまった。
 しかし男の人は「身体壊さないようにね。」言い、優しく笑っていた。私は一層情けなくなり、涙を堪えているだけで、男の人が店を出て行ったことにも気が付かなかった。

 だから店に入ってくるなり、あの人だとすぐに分かった。向こうも私のことに気が付いたらしく、でも何だか不思議そうな顔をしていた。私はすぐにその理由に気が付いて「昼間に変えてもらいました。もう、失敗しませんよ。」と我ながら自信たっぷりに言った。
 するとあの人は心から楽しそうに笑った。

 その日から、私達はレジ越しに簡単な会話をするようになり、やがてお互いの名前を知った。雄介はイケメンというわけではなかったけど、何だか安心する人だった。雄介も私を憎からず思っているみたいで、何かと顔を見せてくれた。気が付くと、雄介が店に来るのを楽しみにしていたような気もする。
 けれども夏の初め、雄介は店に来なくなった。同じ大学生だから、夏休みなのか講義なのかと思ったけれど、それでは説明出来ないほど、ぱったりと来なくなった。
「引っ越したのかな…?」
 疑問を声にしてみると、少し寂しくなったことを覚えている。

 でも秋になると、突然雄介が店にやってきた。いつものように話をしたかったけど、いつもと雰囲気が違っていて、何だかむつかしい顔をしていた。
 私は困ってしまって、考えなしに取りとめのない話をしたけど、雄介は何も言わなかった。
 しかしお勘定の時、雄介は五千円札を差し出しながら言った。
「今度の日曜日、空いてますか?」
 私はその時、何を言われたのか分からず、お釣りを用意しようと10円玉に触れた瞬間に、ようやく「あ、これ、もしかして…」と気が付いた。あの夜の失敗以上に、顔が熱くなるのを感じた。

 こうして私達は付き合い始めた。最初雄介は映画や買い物に連れて行ってくれたが、やがてネタが尽きてきたらしく、次第に雄介の趣味がモロに出た場所に連れて行かれるようになった。
 球場での猛烈な応援合戦だったり、古本屋しかない町だったり、昭和のポスターばかり展示された博物館など、果ては競馬場で本物の馬を間近で見ることも出来た。どこも見たことのない世界ばかりでとても楽しかった。
 しばらくすると、私は雄介の部屋に遊びに行くようにもなった。部屋の中はいかにも男一人という感じで乱雑だったが、しかし雄介は部屋のあちこちから色々な物を引っ張り出しては、私に話をしてくれた。
 私が小学生の頃に読んだ雑誌を古本屋から買ってきて、当時の話で盛り上がったり、ドリフターズのコントのDVDを一緒に見て、そのメチャクチャさに呆れたり、コーヒーを豆を挽くところからやってみたりと、それまで大学の友達としている会話からは程遠い、けれど刺激的なものばかりだった。
 雄介と付き合い始めて、私の生活は確実に変わった。大学とアパートの往復だった生活は消え去り、時間を見つけては、雄介と街に出て、何か面白いことはないかと歩き回るようになった。意外な効果としては、教科書の上のものでしかなかった大学の講義が、たちまち興味ある内容に変わりつつあった。スカスカだった私の生活は好奇心でパンパンに膨らんだものに変わったのである。

 しかし当の雄介はどこか上の空だった。私が話しかけると、慌てて微笑みを浮かべる始末だったのだ。
 それは外出先だけではなく、雄介の部屋で話をしている時もそうだった。自分から色々な話題を持ちかけてくれるくせに、それに私が答えても、妙な間をおいて会話を続けるのだった。最初は「自分の趣味に付き合わせて悪いなぁ、本当に楽しんでくれてるかなぁ」みたいな感じなのかと思っていたけど、そうでもなさそうだった。そう、まるで私の内面を探ろうとしているような。それが私を楽しい反面、不安にもさせた。
 そしてその不安は怒りに変わりつつあった。

 付き合い始めて半年。その怒りはとうとう爆発することになった。事の始まりは雄介の部屋で炬燵にミカンを楽しんでいる時だった。
 この頃の雄介は明らかにおかしかった。私と話をしていても、明らかに別の事を考えていることが分かった。
 この時も雄介はミカンを剥きながら私の話「うんうん」と聞いているように見えたが、一向にミカンを食べる様子がなかった。明らかに怪しい。
 だからつい口に出た。
「何か隠してるでしょ。」
「…何が?」
「何か変なのよ。何か、壁を感じるの。付き合い始めてからそう。付き合う前はポンポンッと話が続いたのに、今は私の言葉を何だか深く考えてない?そんな難しいこと、私言った?」
「…いや。」
「じゃあこの間は何?何を考えているの?何だか私、試されてる?」
「……。」
 雄介の言葉が詰まった。その沈黙で、とうとう私の半年間の不満が爆発した。
「私に話せないこと!?人間一つや二つ隠し事があるのは分かってるけど、こういう『隠してます』っていう空気はどうなの!?せめてしっかり隠しなさい!」
 自分でも驚くほどの迫力で迫ると、雄介はこれまでの想いを話し始めた。
 最初は「他に好きな人が出来ました」とかのベタな展開かと思っていたけれど、雄介の話は雄介らしい生真面目な内容だった。
 自分は本当に私のことが好きなのか、どういう風に好きなのか、そもそも人を好きになるってどういうことなのか、それが自分には分からないんだ、と。
 そこには雄介の誠実さが現れていた。それはつまり、私のことを本当に想ってくれてるということでもあった。この時になって、ようやく私は雄介のことが大好きな自分に気付いた。そして自分の中で雄介の存在がとても大きなものになっていることにも。

  その大好きな人が本当に困っているのだ。
 その時の私は、雄介に心から大事にされている幸せと、その雄介が困っている不安とで、どんな表情をしていたか分からない。でも何をすれば良いかは分かる。雄介はむつかしく考えすぎなのだ。好きな人と一緒にいる。それは間違いのない幸せのはずだ。
 私は私の持つ言葉を総動員して、雄介を元気付けた。正直、何をどう話したかなんて覚えてはいないし、同じような言葉をバカみたいに繰り返しただろうけど、「雄介と一緒で楽しい」ということは強く強く言って聞かせた。

 そして私は出せる言葉を使い果たした。もうどんな言葉も出てこなかった。もっと勉強しておけば良かった、なんて変な後悔を感じながら、私は雄介の手を握った。
 すると雄介はゆっくりと私の手を握り返し、そして微笑んだ。それはあの夜、泣きそうになったあの夜に見せた微笑と同じだった。

 この半年の雄介のあの間は、全て自分への問いかけだったのだ。長い間抱えていた悩みを、私への想いを通して解決しようとしたのだ。
 雄介は「道具として使った」って言っていたけど、多かれ少なかれ、そういうことはあると思う。でもお互いに支え合えば、それは「助け合う」ってことでもあると思う。
 そのおかげでやっと雄介の本心が分かったし、私の本当の想いも分かったんだから、悪いことばかりじゃない。
 その証拠に、私と雄介の関係は劇的に変わった。遠慮がなくなったのだ。雄介は私の悪いところはズバズバ言うようになったし、私も雄介のヘンなところはズバズバ言う。勿論、ケンカになっちゃうこともあるけど、しばらくすれば納得して許せるようになった。
 だって、お互いに大好きだって分かっているから。
 そして雄介は私を変えてくれたし、支えてくれているから、私も雄介を変えて、支えたいと思う。

 ふと、我に返った。
 目の前には空のカップ。窓から差し込む光はいつの間にか赤みを失っていた。丁度店内の時計が鳴り、午後6時を告げた。結局雄介と過ごした時間を思い出していたが、これという思い出はなかった。雄介はどうだろうか、と思い、顔を上げる。しかしそこに雄介の姿はなかった。
 辺りを見回す。僕の他に客は誰もおらず、カウンターの向こうでマスターが雑誌を読んでいる。トイレにでも行ったのだろうと思ったが、テーブルの上を見て目を疑った。雄介のカップがない。灰皿もない。帰ったの?
「マスター、雄介は?」
 するとマスターは顔を上げ、不思議そうな顔をして応えた。
「雄介くん?いや、まだ来てないけど。何時に待ち合わせしたの?」
 何を言っているのだろう。ついさっきまで雄介は目の前にいたのに。
「ここに雄介がいたでしょう?」
 僕は目の前の席を指して尋ねる。するとマスターは顔を綻ばせた。
「美穂さん、今寝てたでしょ。夢でも見たんじゃないですか?もうすぐ来ますよ。」
 そう言って、再び雑誌に目を落とした。理解出来なかった。
 夢だった?いや、そんなはずはない。確かに駅前で待ち合わせて、映画を見て、買い物をしたはずだ。それからこの喫茶店に来て、話を、
「………?」
 買い物をした?どこで?買い物をしたわりには荷物が何もない。それに映画を見た?本当に?タイトルは何だった?ジャンルは?…どうして何も出てこない?本当に夢だったのか?いや、今私がここにいることは間違いない事実だ。私のアパートからここまでは電車でなければ来られない。だから駅にはいたはず。そこで待ち合わせを、
「待ち合わせ…?」
 突然、記憶が再生された。再生を拒んでいた壁は崩れた。空白の理由。
「そんなはずは、ない…。」
 そんなはずはない。だって私は、


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todome

過去のホームページ時代より寄稿させていただいておりましたが、とある作品を完結させぬままに十数年すっかり忘れ、この度親方の号令により、再び参加と相成りました、todomeと申します。 主に小話を寄稿させておりますが、マンガ、ゲームにつきましても、今後ご紹介させていただこうかと思っております。どうぞお付き合いください。

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