それは確かにHIVマンだった。どす黒い肌に細く狡賢そうな目、鋭い牙に先の尖った二本の角。何処からみても、それは間違いなくHIVマンその人であった。
HIVマンはあの時のように、にやにやと笑っていた。愉快でたまらそうな、僕の心を掻き毟る、嫌な笑みだった。
「HIVマン。どうしてここに…?」
しかしHIVマンはそれには応えず、そのまま奥に向かった。そしてヅャムおじさんの元に屈み込み、じっと見つめる。突然ぷっ、と吹き出したと思うと、今度はチーヌ、力レーパンマン、蝕パンマンと、次々に観察していった。その度に、卑屈な笑い声を上げ、そして最後にまた、僕の前に立った。
「派手に、殺ったもんだな。」
僕は思わず顔を伏せた。しかしHIVマンはわざわざしゃがみ込んで、
僕の顔を覗き込んで、
「なあ、アソパソマソ。派手に殺ったな。」
と、粘り着く様な口調で言った。
僕の頭の中で、死んでしまった四人の顔が浮かんできた。思わず吐き気を催し、無理に我慢して涙が浮かんだ。
「泣いているのか、アソパソマソ?」
いつの間にかHIVマンはテーブルの上に腰を掛け、煙草を吸っていた。僕は慌てて涙を拭い、気を取り直してHIVマンの方を向き直った。
「何しに来たんだ、HIVマン。」
しかしHIVマンはその問いには答えなかった。天井を見上げ、面白そうに煙を吐き上げ、それをしばらく繰り返していた。
「正義の味方か…。でもやっぱり…。」
HIVマンは意味深な事をこぼした。
「何をしに来たんだ!HIVマン!」
僕は堪らなくなって叫んだ。と、HIVマンはやっと煙草を消し、テーブルから飛び降りて僕の方に歩み寄ってきた。
「戦いはもう終わりなんだよ。」
HIVマンは言った。僕は何だか気味が悪くなって、数歩後ろに下がり、言った。
「君が悪い事をしなければ、戦いなんて起こらないんだ。いつも君が何か、」
「そういう事じゃないんだ。」
HIVマンは僕の言葉を遮る。
「何が違うんだ?戦いの原因になっているのは、いつだって君じゃないか!」
正直、HIVマンの言葉を聞くのが何だか怖かった。だから僕は矢継ぎ早に言葉をぶつけた。しかしHIVマンは明らかに聞き流している。それどころか、僕を悲しそうな目で見ていた。それは紛れもなく、哀れみの目だった。
それを見て、僕の言葉は途切れ途切れになり、ついに何も言えなくなってしまった。それを待っていたのか、HIVマンは口を開いた。
「俺が、何故あんなにも事件を起こしたのか、分かっているのか?」
「分かっているさ。君は皆が困るのを見て、楽しんでいるんだ。最低だ。」
HIVマンは首を振った。心底残念そうな、がっかりした様子で首を振った。そしてじっと僕の目を見つめ、言った。
「誰の心にも、暗い部分はある。ヅャムおじさんにも、チーヌにも、力レーパンマン達にも、勿論、ある筈だ。」
僕は息を飲んだ。それを見てHIVマンは満足そうに笑みを浮かべた。それはあの卑屈な笑みではなく、何故か安らぎに満ちた微笑みだった。HIVマンは僕の肩に手を掛け、言った。
「今、お前はそれを見ただろう?」
酒に溺れたヅャムおじさん。病とはいえ、仲間を殺したチーヌ。それに続いて、力レーパンマン達の事も浮かんできた。
彼らは結局パンを売っていた。僕はそれが納得出来なくて、皆の為に無料にすればいい、言ったら、二人は一言、
「それだけじゃ、やっていけないよ。」
と顔を見合わせて、笑った。
僕にはそれがほんの少し、許せなかった。
「でもな、」
HIVマンの言葉で、僕は我に帰った。
いつの間にかHIVマンの表情は冷たく凍っていた。また、表情が読めなかった。HIVマンは静かに言った。
「お前にもそんな暗い所があるんだぜ。」
かっ、と顔が熱くなった。
「僕にはそんな物、ない。」
「痩せ我慢はよせ。」
「ないったら、ないんだ!」
HIVマンはまた卑屈に笑った。
「じゃあ、これは何なんだ?」
HIVマンは四人の死体を指さした。
「彼らの死は、全てお前に責任がある。ヅャムおじさんもそう言っていた。違うか?」
無惨な死体。不幸な末路というにふさわしい。その時、ヅャムおじさんと目が合った。目は僕が抉って無い筈なのに、僕は思わず顔を背ける。
「何故目を逸らす?お前のやった事だろう?」
HIVマンはまた冷たい表情になっていた。それは僕に凄まじい威圧感を与える。心が潰されそうだった。
「僕は、悪くない。」
「ヅャムおじさん達が悪い、というのか?」
「そうだ!パン工場がこんなになってしまったのも、ヅャムおじさんが怠けていたからだ!だからチーヌもああなってしまって、だから力レーパンマン達も喰い殺されてしまったんだ!僕じゃない!ヅャムおじさんだ!」
僕は何故か必死になっていた。僕は当然の事をしたのだ。僕は少しも悪くない。しかし、
「だからって、殺す事はなかったんじゃないのか?」
HIVマンは冷たく言い放った。
「確かにヅャムおじさんのやった事は誉められた事じゃない。でもな、それは苦肉の策だったと思うよ。こんな結果にはなってしまったが、仕方のない事だ。」
「でも、ベタ子さんを売るなんて…!」
「だから、殺したのか?」
HIVマンはどこまでも冷たい。
「悪いのは、ヅャムおじさんだ。」
僕はその言葉を繰り返した。
「それがヅャムおじさんの暗さだ。誰でも持っている暗い部分、悪だ。そしてお前のは、」
HIVマンは四体の死体を一瞥し、
「こういう事なんじゃないのか?」と静かに言った。
その言葉で、僕は力尽きた。足に力が入らなくなり、床にへたり込む。そこにHIVマンが声を掛ける。
「自分の中の悪を認めろ。お前の悪とは、悪を赦せない事だ。それがもっと酷い悪を呼んでしまった。そうじゃないか?」
一瞬、認めそうになった。しかし奴はあのHIVマンだ。僕を懐柔して、何か悪巧みに巻き込むつもりに違いない。
僕は慌てて飛び退き、叫んだ。
「違う!僕に悪なんてない!僕は悪くない。僕は正しい。僕は正しい事をしただけだ!」
するとHIVマンは、また哀れみの目を僕に向けた。
「その目はやめろ!」
「お前はそういうかもしれないがな、」
HIVマンは僕の叫びに耳を貸さず、また煙草に火を点けた。
「もうすぐ警察が来るだろう。これを見たら、連中何て言うと思う?殺ったのは間違いなく、お前。殺人犯はお前。お前は悪、だ。」
頭がまた、真っ白になった。
そうだ、間違いなく警察が来る。そして僕を捕まえるだろう。そうしたら、僕は本当に悪になってしまう。
「嫌だ…。僕は…、そんなのは嫌だ!」
と、微かに音が聞こえてきた。それは、
「来たみたいだな。思ったよりも早い。」
HIVマンは窓に近づき、外を見る。サイレンがどんどん大きくなってくる。もうここには居られない。早く、早く逃げなくては。
僕は慌てて竈の蓋を開けた。
「逃げるのか?アソパソマソ。」
何故かぎくり、と身体が強ばった。
「いくら逃げても、お前の悪は消えやしない。それどころかどんどん大きくなるだろうよ。」
僕は粘り着くHIVマンの声を振り切り、竈の中に身体を滑り込ませた。そしていざ、飛ぼうとした時だった。
「アソパソマソ!認めろ!」
HIVマンの叫び声が聞こえた。
「自分の中の悪を認めろ。そうでないと、」
僕は全速力で煙突の中を上昇する。
「お前は自分に喰い殺されてしまうぞ!」
外に出ると、パトカーがパン工場をすっかり取り囲んでいるのが見えた。その内の一台からスーツ姿の男が出てきて、僕に向かって何か叫んでいる。勿論そんな事に構っている暇はない。
僕は出来る限り、パン工場から離れる事にした。ふと後ろを見ると、工場はすっかり小さくなり、やがて見えなくなってしまった。
僕は一旦山奥の森に着陸し、茂みの中に身を顰めた。まだ心臓がどきどきしている。それにHIVマンの最後の言葉が、何故かいつまでも耳に残っていた。
これから、どうしようか。
と、ベタ子さんの姿が浮かんだ。スラム街で身を売っている、可哀そうなベタ子さん。
そうだ、ベタ子さんを迎えに行こう。無理矢理にでも浚ってこよう。今、僕にはそれしかない。それしか自分の悪を否定できない。
確かこの山を越えれば、ラグナロクに着く筈だった。
読んで頂いてありがとうございます!
↓↓このブログ独自の「いいね!」を導入しました。少しでもこの記事が気に入って頂けたら押して頂けるとうれしいです。各著者が無駄に喜びます(・∀・)イイ!!
よろしくお願いしますm(__)m
The following two tabs change content below.
過去のホームページ時代より寄稿させていただいておりましたが、とある作品を完結させぬままに十数年すっかり忘れ、この度親方の号令により、再び参加と相成りました、todomeと申します。 主に小話を寄稿させておりますが、マンガ、ゲームにつきましても、今後ご紹介させていただこうかと思っております。どうぞお付き合いください。
コメント