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何かが変わった、というより、私には何が変わったのかが分からない。だから心が軽くなったとか、快適な生活になったとか、そういった感じはまるでなかった。唯一残ったのは、以前何かに悲しんでいた、というかすかな記憶だけだった。
しかし周囲の人間には劇的な変化に見えたらしい。忘却術を行った翌日、会社の同僚である恵は私を見るなり「ようやく吹っ切れたみたいね。」と言った。勿論私には何のことだか分からないが、以前は相当沈んでいたらしいことだけは分かった。私は軽く頷いてから、週末に映画に行く約束を取り付けた。
それから一日、二日と経つと、その悲しみの記憶も忘却術のことさえも消えてなくなり、(同僚の言うような)以前と同じような、平凡な生活を送ることとなった。実際、本当に単調な毎日で、退屈だったのである。それを察してか、それとも私の忘れてしまった「何か」に関連することなのか、
恵は映画の帰り道に切り出してきた。
「今度合コンやろうと思うんだけど、来ない?」
退屈していた私には断る理由などなかった。ただ、何かが引っかかった。私がそれが何なのか考えていると、恵ははっとして、すまなそうな顔をした。
「ごめん。やっぱまだ無理かな‥?」
何が無理なんだろう。よく分からなかったが、すぐに私は笑顔で取り繕ってOKした。それでも恵の心配そうな表情は消えなかった。
大学時代の友達の友達という、ほぼ他人とも言える繋がりで合コンは開かれた。最初私は賑やかに騒ぎたかっただけで、特に相手を見つけようとは考えていなかったが、男性陣と会話を交わしているうちに、ある人に興味が沸いた。その人は沢渡といって、少し痩せ型で緩いウェーブのかかった髪の男性だった。話を聞くと、彼もまた私と同様に相手を見つけるつもりはなく、それどころか頭数を合わせるために義理で来たのだという。
私も大学時代にそういう役回りで合コンに参加したことがあったから、彼が今どういう気持ちなのかがよく分かった。そのことを伝えると、彼は一瞬目を丸くし、そして実に屈託なく笑った。
すっかり打ち解けてしまった私達は、いつしか本当の合コンのようにお互いのことを話した。私の意識のほとんどは彼との会話に集中していたけれど、視界の端に映った恵の顔が、何故か気になった。恵の顔はあの時と同じような、不安そうな表情だった。
それがきっかけで、私と沢渡さんの交際が始まった。一緒に映画に行ったり、ドライブに行ったり、彼の趣味だという草野球の応援にも行った。どれもこれも楽しかったけど、やはり何かが引っかかった。それは恵から合コンの誘いを受けた時と同じような、よく分からない感覚だった。その度に私はその原因を探ろうとしたが、彼の顔を見るとそんなことはどうでも良くなってしまった。しかしある日、決定的な事件が起きた。
これまで私は色んな形で彼を愛してきた。夕飯を作ってあげたり、誕生日にプレゼントを贈ったり、時は人前で抱きついたりしたし、勿論体だって許した。それなのに彼は私のことを愛しているような素振りを見せたことがほとんどない。「好き」の一言だって滅多に出てこない。彼はとても優しいし、頭も良かった。ただ相手の気持ちを汲み取るというか、期待に応えるというか、そういうところが欠けていた。要は私が愛した分だけ、彼も私を目に見える形で愛して欲しかったのだ。それが唯一、彼に対する不満だった。
そんな不満が積もり積もって、その日とうとう爆発した。小さな喧嘩なら何回もあったけど、あれほど感情をぶつけたのは初めてだった。
もっと私を愛して欲しい、愛していることを示して欲しい。私は彼にそのようなことをまくし立てた。すると彼は弁解した。勿論君のことは愛している、自分なりの表現で君を愛しているのだ、と。だから私は首を振った。もっと他の形で愛を示して欲しい、と。
「つまり、君は君の望む形で愛が欲しい、ということ?」
私は顔を紅潮させて頷いた。逆に彼は冷静に、首を振った。
「それじゃあ、俺は一体何なんだ?本当に君は俺を愛しているのか?」
彼の言葉を聞いた瞬間、私は大きな目眩を感じた。以前から感じていた引っかかりを大きくしたような、それは不安とも悲しみとも取れるような、複雑な感情だった。そして
『だったら、俺は君の何?そういう君はどうなんだ?』
似たような言葉が頭の中で反響した。それから浮かんだ映像は、涙を浮かべた私。
『私はもちろん、貴方のことが好き。』
「私はもちろん、貴方のことを愛してる。」
どちらが先だったのかは、分からない。ただ次の瞬間には、頭の中の私も、今ここにいる私も、彼の胸に飛び込んでいた。彼の胸に顔を埋めているはずなのに、何故か彼の表情が窺えた。少し困ったような、仕方のないような、そんな表情だった。
「『分かったよ。俺も君のことが好きだから。』」
彼はそう言うと、優しく私の髪を撫でた。
帰り道。私はこれまでの出来事を思い返していた。似たような言葉の反響。泣いている私。見えないはずの彼の表情。そして重なった、彼の声。
それから恵の妙な態度を思った。吹っ切れた。まだ無理。不安そうな表情。
そして最後に、記憶の彼方に残っていた「方法」が浮かんできた。
家に着き、私はベットの上で膝を抱えた。そしてこれまでのことを何度も何度も考えて、ついに私は一つの結論に達した。それは至極簡単なことであり、ある種の絶望でもあった。
私が「忘却術」で忘れていたもの。それは失恋の記憶だったのだ。
その記憶はそのまま忘れ去られるはずだった。しかし今日の彼との喧嘩はその記憶ととても良く似ていたのだ。だから同調してしまって、断片的であるが、あのような形で蘇った。私はあの時、今現在見えている情景と過去の記憶の情景とが混在したものを見ていたのだ。だから見えないはずの彼の表情が見えたのだ。
記憶の中の彼の表情は、落胆の表情だった。私から心が離れてしまったサイン。きっとあの喧嘩がきっかけで、私は失恋したのだろう。それで恵は「吹っ切れた」と言い、傷心の私には合コンは「まだ無理」だと思ったのだ。そして多分、沢渡さんは昔の彼と似ているのだろう。だから恵はあんなに不安そうな表情をしていたのだ。
ここまでは良い。しかしそれならば、これからどうなる?実際に彼が、沢渡さんが記憶と同じような表情をしていたとしたら、彼の心は離れつつあることになる。そして忘却術を使わなければならないような、悲惨な失恋をすることになるということだ。私は同じ失敗を繰り返すことになってしまうのだ。
「嫌だ!」
思わず声が出た。手痛い失恋をするのは嫌だが、沢渡さんを失うことはもっと嫌だ。
どうしたらいいだろう?どうしたら私と彼を繋ぎ止められるだろう?
いつの間にか涙が溢れ、私は必死に考えた。彼に気に入られる方法。彼の心を捉える方法。それなのにさっぱり考えがまとまらない。どうしていいのか分からない。私はすっかり混乱してしまっていた。すると勝手に断片的に蘇った記憶が再生される。
と、その時、私の頭の中で何かが弾けた。それは全く逆の発想だった。
何をすれば良いのかは分からない。しかし何をしてはいけないかは分かっている。
思い出せばいい。失恋の記憶とは失敗の記録でもある。それを思い出せば、きっと何かヒントがある。同じ間違いを繰り返さなければ良いのだから。
しかしどうやって思い出せば良いのだろう?忘れ方は知っているのに。
そこで私はふと、思った。あの時と同じようにすれば、見つかるかもしれない、と。
私はパソコンを引っ張り出し、すぐにネットに接続、検索エンジンを立ち上げた。そして「思い出す」と「方法」と入力して、検索を開始した。またあの時と同じように、カリカリとパソコンが鳴く。やがて結果が映し出された。
『検索結果:0件』
私は表現を変えては検索したが、何度やってもヒットしなかった。思い出す方法は誰も知らないのか。私は呆然としてしまった。
残された手段は一つだけだった。それは最初に戻ってみること。そう、あの「忘却術」のサイトは記憶に関する様々な知見に溢れていた。それらを一つ一つ調べれば、もしかしたら何か良い方法が見つかるかもしれない。
私は最後の希望を託して、そのサイトへとジャンプした。
相変わらずの、簡素なデザイン。白地に青のトップページ。カウンタもBBSもない、コンテンツもたった三つしか‥‥。
そこで私は目を疑った。以前来た時は三つしかなかったコンテンツが四つになっていた。
その四番目のコンテンツは
『FAQ』
だった。
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過去のホームページ時代より寄稿させていただいておりましたが、とある作品を完結させぬままに十数年すっかり忘れ、この度親方の号令により、再び参加と相成りました、todomeと申します。 主に小話を寄稿させておりますが、マンガ、ゲームにつきましても、今後ご紹介させていただこうかと思っております。どうぞお付き合いください。
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