旅の果て 第二回

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 この場所の様子を調べるため、またこのまま家にいても退屈だったので、私は外に出た。空気は粘りつくようで、容赦なく陽光が降り注いでいる。陽炎すら見えるほどの、まさに猛暑である。それでも下駄の乾いた音が、いくらかの気休めにはなった。  角をひとつふたつと曲がると、小さな商店街が見えた。八百屋、魚屋など、素朴な町並みが五十メートルほど続いている。そのうちの一軒に人だかりが見えた。思わずそちらの方に歩を向けると、そこはさらに小さな駄菓子屋であった。黒山のほとんどは、私と同じくらいの少年達であった。  店先には懐かしい駄菓子が並んでいた。どれも少年のころ好んで食べたものばかりである。原色でわざとらしい匂いから、 明らかに身体に悪いのだが、しかし不思議な甘さが私を虜にしたものだった。いくら注ぎ込んだか分からないほどである。  人を掻き分け、さらに奥に進むと、無数のガラス瓶が棚を占領していた。瓶の中には、やはり色とりどりの駄菓子が詰め込まれている。その中のひとつに目が留まった。目に痛いほどの朱色に団子ほどの大きさのそれは、杏であった。  私は思わずその瓶を手に取り、中の杏を取り出した。そこでふと気がついて、ポケットの中を探る。幸い駄菓子を買うだけの小銭が入っていた。そのまま店の一番奥の老婆の元に進み、代金を払って店を出た。店先で私はじっと杏を見つめた。記憶の底から、甘酸っぱい味が蘇る。私は期待を込めて、杏を口に運んだ。それは、期待通りの味だった。  ひと噛みひと噛みしていると、後ろから声を掛けられた。 「慎ちゃん、もう良いのかい。」  振り返ると、やはり私と同じくらいの年頃の少年が立っていた。ランニングに私と同じ黒ズボンを履いている。しかし私とは対照的に、肌はこんがりと、健康的に焼けていた。  もちろん彼が誰なのかは分からない。だが、私、つまり私が身体を借りている少年の友達だということは窺えた。だから私はにっこりと笑って頷いた。 「そうか。こんなに暑いのに風邪をひくんだもん。慎ちゃんらしいけどな。」  鏡を見た時、自分の肌の白さに驚いたが、やはり身体が丈夫ではないらしい。 「まあ、土砂降りの中誘ったのは俺だしな。」  少年はすまなそうに笑った。するとそこへ、 「健一!慎ちゃん!」と少年の背後から声がした。肩越しに見ると、数人の少年が走ってくるのが見えた。目の前の少年は健一というらしい。私は少し安心した。いつものことだが、誰かになりすますというのは、本当に神経を使うものなのだ。特に人の名前を推測するのは難しい。ど忘れしたとか誤魔化すこともできるが、なるべく平穏に済ませておくに越したことはないのだ。  少年達はたちまち私達のそばに来て、私の肩をぱんと叩く。 「慎ちゃん大丈夫かぁ。風邪ひいたんだってなぁ。」 「丈夫じゃないんだから、もっと気を付けなよ。」  少年達は口々に話しかけてくる。私は少々うろたえてしまったが、何とか笑顔を繕った。病弱ながらも、「慎ちゃん」は中々の人気者らしい。話題がころころと変わりながらも、少年達の雑談は留まることがなかった。私は一人一人の名前を記憶しつつ、やがて自分がどのような人間なのかが、少しずつ分かってきた。  今回私が身体を借りている「慎ちゃん」、本名は井上慎二というのだが、彼はやはり身体が丈夫ではないようである。しかし彼は読書が好きで、沢山の童話や民話に精通しているらしい。その話が魅力的ということもあるが、彼は中々頭が良く、学校では頼られる存在なのである。要は身体の弱さを頭の良さでカバーしているわけなのだ。  最初に話しかけてきた健一という少年は慎二とは大の親友で、どこに行くにも一緒らしい。多分、お互いの長所が魅力的なのだろう。友達とはそういうものだ。  その健一が私に何か目配せをした。意味は分からなかったが私は頷き、すると健一は店に入っていき、すぐに新しい駄菓子を持って出てきた。 「じゃあ、慎ちゃんの家に行こうか。」  そう言うと、健一は私の手を引き、家の方角へと走り出した。私はバランスを崩しながらも、何とか彼についていった。  途中で家とは反対の道に入り、やがてその道もなくなった。目の前には大きな山が広がり、色彩は抜けるような青と鮮やかな緑だけになった。 「家に来るんじゃなかったの?」  不思議に思って尋ねると、健一はにっと笑って言った。 「そうでも言わなきゃ、ばれちゃうじゃないか。」  何がばれるというのだろう?よく分からなかったが、私は「そうか」と相槌を打った。健一は満足そうに頷くと、くるりと山に向かい、ずんずんと歩き出した。この山に何か秘密があるらしい。私は年甲斐もなく、むしろ少年らしく、胸を高鳴らせた。  斜面はそれほど急ではないが、盛大に雑草が生い茂り、昼だというのに薄暗く、全く道が分からない。しかし健一はどういう方向感覚をしているのか、逡巡もなく山を登っていく。私は必死にそれを追いかける。草熱れが少し不快だった。やがて小さな広場に出て、そこには大きな樫の木が立っていた。その根元に辿り着くと、健一は大きく息を吐き、その場に腰を下ろした。私もそれに倣う。ひんやりとした空気が首筋を通っていく。 「こんな暑い日はあの場所でのんびりするのが一番だよ。」  健一が空を見上げていった。どうやら二人には特別な場所があるらしい。そこに向かっていることは間違いなさそうだ。私は無言で頷いた。  不意に蝉が鳴いていることに気付いた。一匹二匹ではない、相当の数の蝉があちこちから声を上げている。その喧騒が何故か、より山の静寂を演出していた。私は目を瞑り、故郷のことを思った。  私の故郷も緑に溢れた、素朴な所だった。小さい頃はそれで満足だったが、やがてお決まりのように都会に憧れた。一度そうなると、周りの山々が急に野暮ったく感じられ、私は高校を卒業すると同時に、逃げるように上京した。都会の生活は便利で華やかだったが、いつも忙しなく、心から休まる場所はどこにもなかった。私は思い切って田舎に帰った。そこには私の求めていた安らぎがあった。その時になって初めて、私は故郷の存在の有難さを知ったように思える。  今回のこの場所も、私に安らぎを与えてくれているように感じられる。そういえばあの町並みもどこか私の故郷に似ていた。同じ田舎だからか、それとも私がそれを願っているのか、それは分からない。しかし懐かしさははっきりと感じることができた。 「そろそろ行こうか。」  健一の声で、我に返った。相変わらず蝉の声が辺りを覆っている。健一は立ち上がり、私に手を差し出している。私はその手を取り、腰を上げた。  さらに二十分ほど歩いただろうか。私達は山の中腹にいた。少し段になった地形で、目の前には剥き出しの山肌が見える。そしてそこには直径二メートルほどの穴が開いていた。  洞窟だろうか。私は中の様子を伺おうと顔を突っ込んだが、それどころか健一はすいすいと中に入っていく。ここが秘密の場所のようである。私は慌てて健一の後を追った。  中は子供が立って歩けるくらいの広さがあり、ひんやりとしていた。壁面はすべすべしており、天井に空いた穴から差し込む光で光沢すら放っている。真っ暗ということはないが、それでも足元にはでこぼこした岩が無数に転がっていて、気を付けなければならない。  前を行く健一はそんな悪路をものともせず、時折分かれ道が現れるが、それにも迷うことなく、慣れた足取りで奥へ奥へと進んでいく。一体どこまで続いているのだろうか。ここは健一に任せたほうが良さそうである。私は慎重に歩を進めていった。  やがて天井や壁、床のあちこちに突起が目立ってきた。氷柱のようにぶら下がるそれを見て、ここが鍾乳洞であることが分かった。見渡せば、壁一面に水流を思わせる美しい文様が浮き上がり、耳を澄ませば雫の落ちる音が響き渡る。こんな神秘的な世界は、確かに秘密の場所である。 「さぁて、やっと着いた。」  先を行く健一が歩を止めた。洞窟はそこで行き止まりだったが、一層広い空間になっていた。八畳の部屋ほどの広さがあり、また天井から無数の細い光の筋が降り注いでいる。丁度礼拝堂のような、厳かな雰囲気が漂っていた。  健一は手近の岩に腰掛け、何事かきょろきょろと辺りを見回す。私も側の丸い岩に腰を下ろした。天井を見上げると、星空のように小さな光が無数に見えた。 「何も変わってないようだな。」  しかしそういう健一の表情は何故か浮かないものだった。秘密の場所なのだから、変わっていない方が良いに決まっているはずだ。しかし、そのことを考える間もなく、 「それにしても、この間の雨にはまいったな。」  健一は駄菓子を頬張りながら言った。この間の雨とは、恐らく慎二の風邪の原因となった雨のことだろう。しかし雨の中、彼らはどこに行っていたのか。その答えはすぐに健一の口から話された。 「慎ちゃんの言うよう、雨でこんな洞窟ができるなんて信じられなかったからなぁ。でも、まさかあんなに水が流れ込んでくるとは思わなかったよな。」  つまりあの雨の日、二人はこの鍾乳洞にやってきたのだ。石柱一つに百年単位はかかるというのに、それが雨だからということで、生まれる瞬間を見に来たのである。どうやら相当の水が流れ込んだらしいが、健一はそれによって地形が劇的に変化していないか期待していたようである。それにしても、慎二少年は身体が弱いくせに、中々の無鉄砲らしい。しかしそれが同年代の友人を惹き付けているのかもしれない。 「それにしても慎ちゃん、お姉さんにはここのこと、喋ってないだろうな。」  今の私に分かるわけがない。しかし昨日の姉の様子や、慎一少年の人柄を考えれば、その点は安心だろう。私は「大丈夫」と頷いた。健一はほっとした様子で微笑み、 「まだこの中全部を見てないから、探検するには人手が多い方が良いんだけど、ここは静かな方が良いしなぁ。まあ、ゆっくり調べてみようよ。」  健一はそう言って、尻ポケットから紙切れを取り出した。光の下で覗き込むと、それは拙い地図だった。ぐにゃぐにゃと曲がりくねり、迷路のように入り組んでいる。そして所々空白が見受けられた。それは製作中の洞窟の地図だった。 「じゃあ、どこから調べようか?」  私の顔を覗き込む健一。私は探検隊のブレーンというわけだ。空白地はまだ無数にある。全部調べ切るには、少なくとも一ヶ月はかかりそうだ。どこにしようかと迷ったその時、私は地図中央に位置する五叉路に目が留まった。五本に分かれた道のうち、既に二つは書き込まれている。  何故か、そこに新たな驚きがあるような気がした。予感ではなく、確信に近い。不意に「朝子」という名前を見た時の、何ともいえないあの感覚が襲ってきた。何かが引っかかっている。知っている、のだろうか?では、何を? 「この分かれ道にするの?」  健一は無邪気に私の視線の先を指差した。よく分からないが、行ってみたい。私は何度も頷いた。  結局、選んだ一本の道の先は別の分かれ道となっていた。地図はさらにややこしくなったわけである。別の道を探検しようかと思ったが、差し込む光が弱くなってきていた。もうすぐ夕暮れらしい。そこで私達は洞窟を後にし、一目散に山を駆け下りた。昨日の今日で、また心配させるわけにはいかない。自然と足が速くなった。  商店街の入口で健一と別れ、そのまま家路を急ぐ。ひとつふたつと過度を曲がり、ようやく家の前の道まで帰ってくると、玄関の前に人影が見えた。二人だ。何故か分からないが、私は咄嗟に物陰に隠れた。面倒なことになる。そんな気がした。しかしむくむくと湧き上がる好奇心から、つい、人影を盗み見た。そして、言葉を失った。  二人の人影。それは朝子姉さんと男の人だった。あの年頃ならボーイフレンドの一人くらいいてもおかしくはない。しかし男の顔はあまりにも意外だったのだ。 何故ならそれは私が良く知っている顔だった。いや、忘れるはずもない。それは紛れもなく、私だったのだ。この旅をする前、平凡な生活を送っていた頃の、私、だった。  どうして私がそこにいるのか‥。何故朝子姉さんと話をしているのか‥。  二人の姿が見えなくなるまで、私は物陰で身体を固くしているほかなかった。

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todome

過去のホームページ時代より寄稿させていただいておりましたが、とある作品を完結させぬままに十数年すっかり忘れ、この度親方の号令により、再び参加と相成りました、todomeと申します。 主に小話を寄稿させておりますが、マンガ、ゲームにつきましても、今後ご紹介させていただこうかと思っております。どうぞお付き合いください。

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