彼女の場合 最終回

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 FAQ。よくある質問。ネットだけではなく、様々な分野で使われる略語だ。しかし今回問題なのはそんなことではなく、以前はなかったこの項目が今、目の前にあるということだ。記憶を探ってみても、こんな項目は絶対になかった。  更新されたということだろうか?元々簡素なこのサイトには、勿論更新履歴のようなものはない。いつ更新されたのかも分からない。しかしそれよりも気になったのは、「FAQ」という項目それ自体の意味である。「よくある質問」ということは、相当数の人間がこのサイトにアクセスしているということを意味する。カウンタがないから具体数は分からないが、少なくとも結構な人間がこのサイトの管理者に対して質問をしたということだが‥。  そこで妙なことに気が付いた。彼らはどうやって管理者と言葉を交わしたのだろうか?このサイトにはメールアドレス等の管理者へと続くような情報はどこにも示されていない。それなのに「よくある質問」とはどういうことなのだろうか?  考えていても始まらない。私はそっと、 「FAQ」をクリックした。  そのページはやはり白地なのだが、文字はごく普通の黒だった。見た目は僅かな変化なのだが、しかしそれだけで私は無意識に尾住まいを正してしまったから、その効果は十分だったと言える。スクロールバーを見る限りでは、本編同様に相当量のテキストのようであったが、それは相変わらず優しい口調で切り出されていた。 『よくある質問、と言いながらも、実際に質問を受けたことは勿論ありません。私への連絡方法を示していないのだから、これは当然のことです。それでも私は皆さんが何を聞きたいのか予想することは出来るのです。それはこのサイトの性質から考えれば、すぐに思い付く質問なのです。それではその質問とは何か?恐らく皆さんが私に聞きたいのは、「どうすれば忘れたことを思い出せますか?」ではないでしょうか。』  驚愕の一言に尽きた。確かに私はその手がかりを探しに、再びこのサイトにやって来た。しかしどうして管理者はそのことを知っているのだろうか?私は堪らず文章を追った。 『これに答える前に、まずはこのページについて説明しましょう。以前はこんなページはなかった、と驚かれる方も多いと思います。このページは二回目にアクセスして初めて見つけることが出来る、隠しコンテンツなのです。何故二回目から現れるコンテンツなのか。それは皆さんが二回目に来る理由は同じだからということです。これはメインコンテンツを見れば分かります。ご存知の通り、忘却術は非常に簡単です。すぐに覚えられてしまう。つまり忘れたいだけならば、このサイトには一回来るだけで事足りてしまうのです。ではもう一度来るのはどうしてか?それはこのサイトに何らかの情報を期待している場合です。具体的には忘れたことによって、何か困ったことが起きてしまった場合でしょう。記憶に関する能書きなんて二回も読みたくはないと思います。  では期待している情報とは、何でしょうか。それは、忘れることで困ってしまった場合の対処法、つまり思い出すことについてではないでしょうか?他の可能性としては、上手く忘れられなかった、というものが考えられます。しかし上手く忘れることが出来なかったとしても、次からはさらに徹底して行うでしょう。つまり、二回目に来た方の目的は一つ、思い出すことしかない。私はそう考えたのです。  以上の推論に加え、こんな辺鄙なサイトにもう一度来るということは、相当事態が緊迫しているのだろうと考えました。そのため、より効果的に質問に答えられるようにとの意味から、このコンテンツを隠したのです。これがこのページの意図であり、だからこそ「FAQ」というわけです。もし違う質問を抱いている方がいたのなら、私には答えることが出来ません。ごめんなさい。』  瞬間、背中に悪寒が走った。全てを見透かされている。「ごめんなさい」なんてとんでもない、私の行動は全てお見通しだったということなのか。恐怖とも、混乱ともつかない感情を抱いた私の目は、最早自動的に文章を追っていた。 『さて、「どうすれば忘れたことを思い出せますか?」についてお答えしたいのですが、しかし私から言えることは何もありません。というのは、既に答えは出ているからです。』  意味が分からなかった。つまり私はもう答えを知っているということになるのだが、全く思い当たらない。現に先刻まであちこちのサイトを検索していたではないか。何が答えだというのだろうか。 『皆さんはメインコンテンツの「記憶とは」「忘れるとは」を読んだことと思います。その内容をもう一度思い出してください。記憶とは概念のリンクであること。忘れるとはそのリンクが弱くなっている状態であるということ。記憶はなくなってはいないのです。ただ思い出せないだけだということを忘れないでください。記憶は依然として皆さんの頭の中に残っています。リンクはまだ繋がっているのです。ここまで理解出来れば、答えは簡単です。もう一度このリンクを強くすれば良いのです。つまり忘却術とは逆のことを行えば良いのです。しかし実際は簡単ではないことにも気付かれるでしょう。』  最初は、そうか、と思った。確かに答えは簡単だった。気付かなかったことが不思議なくらいだった。しかしすぐに、それこそテキストに綴られている通り、簡単ではないことにも気付いた。それは、 『忘れた記憶がどのようなリンクになっていたのか。リンクが弱くなってしまった今となっては、それが 分からないのです。だからこそ、皆さんは忘れているのですが。』  そういうことなのだ。思い出すためにはリンクを復元しなければいけない。しかし私は意図的にそのリンクを弱体化させたのだ。言ってみれば、重要書類を隠すために、シュレッダーに掛けたようなものだ。確かに書類はばらばらになって判読不能になってしまったが、元に戻すことも出来ない。私の記憶は、今まさにそのような状態なのだ。 『しかし、方法がないわけではありません。ここを読んでいる皆さんは少なからず、忘却術によって忘れたはずの記憶をいくらかは取り戻している方ばかりのはずです。だからこそ、思い出す方法を探しに来たのですから。ではもう一度メインコンテンツについて思い出してください。そこにはこのようにも書かれていました。一つのリンクが弱くなっていても、別のリンクが生きていれば、遠回りをして思い出すことがある、と。』  確かはさみを例にした話だった。はさみとその置き場所のリンクが切れていても、目の前にある紙からリンクして思い出すという話だった。私の場合、沢渡さんとの喧嘩が遠回りのリンクの役割を果たしたわけだ。 『皆さんはこの遠回りによって偶然記憶を取り戻しました。ではこの偶然を意図的に引き起こしたらどうなるでしょう。様々な遠回りによって、断片的ではあるけれど、記憶は蘇ってきます。そしてやがては忘れてしまった記憶の全体を取り戻す可能性も十分考えられるわけです。問題はこの偶然をどうやって引き起こすのか、という点にあります。』  いよいよ焦点である。この方法さえ分かれば、失われた記憶を取り戻すことが出来る。私は期待に胸を膨らませていた。しかしそれは、 『しかし実際には非常に難しい問題です。というのは、皆さんは忘却術を行う際に、相当の苦労をしたと思います。これを敢えて破ろうとするには、忘却術を行った時よりも、さらに徹底した努力と強い覚悟が必要となるからです。』  相当厳しいものであるようだった。その時のことは覚えていないが、忘却術を行った後、私には泥のような疲労感が残っていた。それだけでも相当の苦労があったことが窺えるが、それをさらに超えるのだという。私はぼんやりとした不安を抱き始めていたが、しかし文章を追う目を止めることは出来なかった。 『皆さんが断ち切ったリンクは、あくまでも忘れたかった記憶への入り口部分に過ぎませんでした。つまり忘れた記憶内部のリンクは繋がったままなのです。ちょうど、離れ小島へ続く橋が落ちていて、しかしその島の町並みは無事である、そんな状態なのです。今回はこの内部のリンクを利用することになります。つまり、皆さんが思い出した記憶の断片を起点として、そこからリンクを辿って記憶全体を活性化させよう、というわけなのです。本来は再び意識の底へ沈んでしまうその記憶を、無理矢理活性化させるのです。このことが何を意味するのか、お分かりでしょう。』  リンクを辿るということは、つまり記憶の断片を巡るということ。言い換えれば、記憶された出来事をもう一度体験するということなのだ‥。  もう一度?忘却術を使わなければならなかったほど辛い経験を、もう一度しなければならないということなのか? 『そうです。皆さんはもう一度、辛く悲しい体験をしなければならないのです。しかもそれは自動的に行われるものではなく、探索的に、能動的に行わなければなりません。何故なら忘却術によってリンクが弱められたために、一つ一つの記憶のパーツへの入り口が分かりにくくなっているからです。皆さんはいくら辛くても、いくら悲しくても、記憶を探り当てていくことになるのです。』  確かに忘却術の比ではない。忘却術は既に分かっているリンクを辿れば良かった。しかし今回はどのリンクかも分からぬまま、闇雲に切ない記憶の中を歩いていかなければならないのだ。苦行以外の何物でもない。 『方法は簡単です。皆さんが思い出した記憶を頭に浮かべて、その中の概念一つ一つを念入りに意識し続けるのです。概念間のリンクは新たな記憶の情景へと導いてくれるでしょう。そしてそこには色濃く感情がこびり付いているはずです。それを皆さんは改めて体験するでしょう。感情は自動的に他の概念とリンクし、記憶は定着します。これを繰り返せば、忘れられた記憶はある程度の形にまで回復するはずです。』  私は迷っていた。どんな記憶だったかは分からないが、きっと辛くて悲しいものに決まっている。事実思い出した記憶の断片だけでも、あれほど切なかったではないか。そんな暗闇のようなところへ、敢えて足を踏み入れることなど出来るだろうか?とてもそんな自信はなかった。しかし管理者はそんな私の心中を見透かしたように、テキストを続けていた。 『恐らく、大部分の方が躊躇されるでしょう。好き好んで辛い経験をしたい人なんていませんから。しかし皆さんはその辛い記憶を思い出そうとして、ここまで来られた。必要な記憶だと気付かれて、再びここに来られた。そのことを考えてみてください。』  私は沢渡さんのことを想った。あの人に好かれたいからこそ、再びこのサイトに来た。ほんの数分前は強い決心を胸に秘めていたのに、今ではすっかり消沈してしまっている自分に気付いた。  思い出したい。でも、怖い。私の気持ちは激しく揺れ動いていた。 『そもそも記憶とは何なのでしょうか。単なる記録でしょうか?その人の人格の中心でしょうか?これはもちろん正しいですが、しかし私にはもっと重要な役割があるように思えます。 それは学習することです。記憶、つまり過去から学び、未来へと生かすということです。誰にでも叱られた経験はあるでしょう。確かに嫌な記憶ですが、しかしこれがあるからこそ、私達は誤りを知り、次には正しい道を歩んでいくことが出来るのです。人は様々な記憶を持ち、無駄なものは一つもありません。皆さんはそんな記憶たちの価値に気付かれたのです。 皆さんは思い出すべきです。私個人の勝手な意見だということは分かります。しかし素晴らしい未来を歩むためにも、敢えて辛い経験をするべきだと思います。』 テキストはそれで終わりだった。 私はパソコンの電源を落とし、考えた。 思い出すか、思い出さないか。とても単純で、とても複雑な、シビアな二択。 何回かの堂々巡りを終えて、私は決心した。 目を瞑り、頭の中に情景を浮かべる。そこへ激しい感情の波。しかしそれは始まりに過ぎない。 やがてリンクを見つける。 一つ。 『お前のそういうところが、嫌なんだ』 二つ、三つ。 『自分だってそうじゃないか?人のことを言えるのか?』 『もういいよ。今日はもう帰るよ』 本当に辛かった。あの時は分からなかった彼の言葉が、今では私の心の深いところに突き刺さる。私のわがまま、幼さ、過ちが何度も意識の中で点滅する。 『好きな人が出来たんだ。だから‥』  心が潰れそうになった、その時。別の記憶が脳裏を横切った。  それは沢渡さんだった。沢渡さんが、私を抱きしめている情景だった。 「私にも好きな人、出来たよ。」  そして私は彼を愛するために、「彼」のことを思い出し続けた。  日差しが穏やかな昼下がり。私と沢渡さんは見晴らしのよい公園にいた。特に何をするわけではないが、そばにいるというだけで特別だった。ほど良く温まったベンチに座り、ぼんやりとハトの群れを眺める。沢渡さんはタバコに火を点けると、ふう、と煙を吐いた。 「やっぱ、俺って不器用なのかもな。」 「どうして?」  沢渡さんは眩しそうに目を細める。 「前にも言ってただろ?相手の気持ちが分かってるのかって。」 「ああ、あれね。」 「確かに、俺ってどうも一人で突っ走っちゃうからさ、あんまり美穂の気持ち、考えたことないかも。」  それを聞いて、思わず私は微笑んでしまった。考えていなかったのは私の方なのに、沢渡さんは馬鹿正直に悩んでいるらしい。そこが何だかおかしかった。 「でも、今は考えてくれてるんでしょう?」  そう聞くと、沢渡さんは子供のように頷いた。それもまたおかしかった。 「だったら良いじゃない、それで。」  すると沢渡さんが私の顔を覗き込んだ。 「何か、変わったな。」 「私?そう?」 「何だか、いい女になった。惚れ直したよ。」 私はとうとう我慢できなくなって、声を出して笑った。  時折、思うことがある。  あのサイトは一体何だったのか、ということだ。  管理者は最後に記憶の重要性を訴えていた。なのに忘却術を教えている。  そう、矛盾しているのだ。  私はそこのところがどうしても納得出来なくて、あれから何度かあのサイトにアクセスを試みた。  しかしあのサイトに繋がることは二度となかった。  ‐了‐

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todome

過去のホームページ時代より寄稿させていただいておりましたが、とある作品を完結させぬままに十数年すっかり忘れ、この度親方の号令により、再び参加と相成りました、todomeと申します。 主に小話を寄稿させておりますが、マンガ、ゲームにつきましても、今後ご紹介させていただこうかと思っております。どうぞお付き合いください。

コメント

  1. galthie より:
    記憶、学習。 トドメ氏の院での研究テーマにも通じますね。 オリジナル小説第一弾完結です。 彼の小説もよろしくお願いしますね。
  2. トドメ より:
    トドメでございます。 初めてのオリジナルということでしたが、なかなかまとまらず、四苦八苦して形にしてみました。いかがでしたでしょうか?年寄りの説教のような話になりましたが、皆様の暖かいご意見をお待ちしております。
  3. ミヤ10COSTA より:
    いやぁ~~、トドメさんお疲れさまです。 読ませてもらいましたよ、初のオリジナル。 ああいう恋愛小説をかけるトドメ氏は凄いっすねぇ~~。 「失敗は成功のもと」「失敗は成功の母」なんて言葉を裏付けるような話ですね~~。 いやぁ~~、恋愛って難しいっすねぇ~~。 たくさん失敗しないと、なかなか上手くいかなかったり、学べないものだし。 でも、その失敗は思い出したくもない記憶なんだよねぇ~~。 それなのに、ふとした瞬間になんでもない風景や話、音楽とかが昔好きだった人を思い出させる鍵になって、鍵をかけたはずの記憶の扉が開いてしまう、その記憶がよみがえって、また心の痛みを感じる。 なんなんでしょう???この心の動きは??? 正直、そんな記憶は忘れてしまいたいもの。最近こんなコトを、このHPの管理人にもちょうど話していたので、オレにとってはタイムリーなネタだったっす。 でも、忘れてしまったら、また同じ過ちを犯す。忘れてなくても、時に同じ過ちを犯すこともあるのが人間。だからこそ、失敗の記憶はなくしてはいけないし、失敗からも何かを学ぶことが必要なんでしょ~ねぇ~。 はぁ~~、オレも失敗を糧にして、いつか主人公みたいにハッピーエンドを向かえてぇ~~なぁ~~。なんて思ってしまったミヤ10COSTAでしたぁ~~。
  4. トドメ より:
    どうも、トドメございます。 今回は完全オリジナルだっただけに、非常に皆さんの反応が気になっていました。とある、HPで陰惨なアラシの状況を目にしていましたから、結構不安だったのであります。 暖かいご感想、ありがとうございました。
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