3
夕飯は大好きな煮魚だったが、味わう間もなくそれを掻き込み、私は早々に自分の部屋に戻った。部屋の中央に腰を下ろし、無意識のうちに口を押さえ、考えた。
あれは、誰だったのだろうか。
世界には自分によく似た人間が三人は存在しているという。事実、これまでの旅で幾度となく、自分に似た人間にあってきた。当たり前の話だが、この旅をしている間、私は本当の私の顔を見ることができない。だからその度に懐かしい気持ちになったものだ。
しかし今回は特別である。他人の空似にしては、あまりにも私に似すぎていた。背丈、体格、顔付き。何もかもが私そのものであった。鏡に映したような、そんな陳腐な表現すら頭を掠める。だが不思議と気味の悪さはなく、勿論驚きはあったものの、これまでと同様に、懐かしい気持ちに包まれていた。
そういえば。ふと、私はあのカレンダーを見た時の感覚を思い出した。「朝子」という名前を見た時、得体の知れない感覚に陥ったが、今思えば、それは懐かしさではなかっただろうか?さらに言えば、あの洞窟でも、そんな懐かしさを感じていなかっただろうか?
しかしむしろ、あの男に対しては、いつもよりも強烈な懐かしさがあった。それはあの男の姿というよりも、姉と言葉を交わす、
という、その情景に対して抱いた感情であるようだった。いや、あれは懐かしさだっただろうか?もっと別な感情であるような気もする。
何故かは分からない。幾度と自問を繰り返したが、答えが出ることはなかった。
不可思議な感覚を引きずったまま、二日、三日と過ぎた。私は相変わらず暑い日差しの中、健一と共に洞窟の地図を作っていた。あの五叉路が気に掛かったが、探検は一番奥の空洞周辺が中心となっていた。涼しかったことが一番の理由である。
地図が形を成すにつれ、洞窟が思いの他広大であることが分かってきた。健一は興奮していたが、私は妙に冷静で、依然として五叉路が気になっていた。次の人物に移るまで、恐らくあと、三日。それまでにはあの奥を確かめたいと思っていた。
そしてこの場所に来てから六日目のことである。
その日は朝から様子が違っていた。どこかそわそわと、何か楽しげな、そんな雰囲気だった。姉もどこか落ち着かない様子だった。何かあるのだろうかと、昼食を済ませてから、外に出た。すると商店街の様子は一変していた。軒先には提灯が並び、道には無数の幟が立っていて、それは山の方へと続いている。ようやく分かった。祭りがあるのだ。
例の駄菓子屋の前に来ると、既に健一がラムネを片手に腰を下ろしていた。健一は私の姿を認めると、片手を挙げて挨拶した。私はその横に腰を下ろした。
「今年の見世物は何かなぁ。」
健一が楽しそうな口調で言った。縁日で見かける見世物小屋のことだろう。大抵が話にもならないインチキなのだが、ごく稀に、本当に価値のある見世物があるから油断ならない。そういえば、最後に見世物小屋に入ったのは、いつだっただろうか。
「今年も見に行くだろ、慎ちゃん?」
そう言って、健一はラムネを一気に空ける。考えて見れば、日本が久し振りなら、祭りも久し振りである。だんだんと楽しみになってきた私は、にっこりと頷いた。
「よし、じゃあ、今日も探検だ。」
私と健一は揃って立ち上がり、一目散に駆け出した。
予定通り、新しい道を三つほど書き加えたところで切り上げることになり、私と健一は再び駄菓子屋の前にいた。いつものような夕暮れで、私はニッキ水を、健一は本日二本目のラムネを飲んでいた。
「それにしても、一体どこまで続いているんだろうなぁ。」
今日の探索で、地図はとうとう半紙一枚では足りなくなり、改めて洞窟の広大に驚いてしまった。ひょっとすると、あの洞窟は山の内部全てを網羅しているのではないか、と思えるくらいである。
「もしかすると、もっと広い空洞があるかもしれないねぇ。」
私の言葉を聞いて、健一は眼を輝かせ、興奮気味に言った。
「どこか別の場所に通じてるかもしれないな。」
「通じてるよ。」
その自分の言葉に、私は驚いた。単なる相槌としてではない、確信を持って私は応えていた。間違いなく、あの洞窟はどこかに通じていると。何故、そう言えるのだ? そんな私の戸惑いを他所に、健一は益々興奮していた。
「そうなれば大発見だ!どんな所に出るんだろうなぁ」
やはり私はあの洞窟を知っているのだろうか?だとしたら、何故知っているのだ?
「慎ちゃん、全部探検するまで、絶対に内緒だぜ。絶対だからな。」
健一は楽しそうに、カラカラとビー玉を鳴らした。
山の向こうの境内で待ち合わせということになり、私は一旦健一と別れた。私はふわふわとした気持ちのまま、玄関をくぐる。そのまま自分の部屋に向かおうとした、その途中、縁側に腰掛ける姉の姿を見つけた。
姉は長い黒髪を上げ、紺地に桃色の花をあしらった浴衣を着ていた。手持ち無沙汰に団扇を仰ぎ、いとおしげに夕陽を眺めていた。姉の肌は紺色に映え、夕闇の中でも白く輝いているようで、私はしばし見とれてしまった。そう、とても美しかった。
私の視線に気付いたのか、不意に姉はこちらを向いた。
「あ、お帰り。」
「うん。」
一瞬、言葉に詰まった。何故だか照れ臭くなってしまったのである。
「今日のお祭り、健ちゃんと行くんでしょう?」
「姉さんも、行くんだろう?誰と行くんだよ。」
すると姉は頬を赤らめて、ころころと笑った。
「誰って、智之さんと。」
智之。また、何かに引っかかっている、なのに心を包まれるような、懐かしさ。それは「朝子」という名を見た時と全く同じ感覚であった。と、その時、
「ごめんください。」
玄関から若い男の声がした。姉の顔がぱっと明るくなり、足早に玄関へと向かった。私もその後を追う。玄関には背の高い男が立っていた。それはあの有暮れ時、玄関先で姉と楽しそうに話をしていた、あの男だ。彼が、智之が、そして私が、いた。
「いらっしゃい、智之さん。」
姉は少し頬を赤らめて、智之を迎えた。私はその横で、じっと彼の顔を眺めている。その視線に気づいたのか、智之は屈みこんで私に話しかけた。
「こんばんは、慎一くん。君も行くんだろう?」
そしてにっこりと、柔らかく、微笑んだ。その微笑に飲まれそうになったが、
「智之さんは姉さんと行くんだってね。」
すると彼も姉同様に、ほんのりと頬を染めた。分かっていたことだが、二人は良い雰囲気である。改めてそのことを確認すると、不思議なことに、より深い懐かしさ、いや、安らぎが胸を包んでいた。懐かしさではない、それは急に安心したような、感覚。
この二人には幸せになってもらいたい。いや、幸せになるはずなのだ。
そんな妙な確信めいたものが去来していた。私の感情はぐちゃぐちゃだった。
「じゃあ、先に行くからね。」
堪らず私はそう叫んで、家を飛び出した。そうでもしないと、あの場で泣き出してしまいそうだったのだ。事実、境内へと向かう道で、私は涙を流していた。
境内に近づくにつれ、祭囃子が聞こえ始めた。ぼんやりとした提灯の明かりが私を導く。道なりに歩いていくと、大きな鳥居が見えた。その下には大勢の人間が楽しげに賑わっている。鳥居の向こうには色とりどりの屋台が軒を連ね、祭りの気分を一層盛り上げていた。
辺りを見回すと、健一は鳥居の横にいた。そちらに近づくと、健一は私に気付いたが、すぐに顔を曇らせた。
「どうした、慎ちゃん。泣いているのか?」
先程の涙がまだ乾ききっていない。きっと痕が残っているのだろう。私はごしごしと顔を擦り、黙って首を振った。健一は心配そうであったが、すぐに笑顔を浮かべ、それ以上は何も尋ねてはこなかった。
境内に入り、私達はあちこちの屋台を覗き込んだ。綿飴、焼きとうもろこし、駄菓子に、簡単な玩具。どれも懐かしい品ばかりであった。横の健一はどれを買おうか迷っていたが、結局タイヤキを頬張っていた。私は思案の末、カルメ焼きを選んだ。コクと少し苦味のある甘さを感じながら、私達は境内の一番奥、御神体の所までやってきた。石段に腰掛け、夢のような祭りの風景を眺める。
ぼんやりと、姉のこと、智之のこと、それに洞窟のことを考えていた。
これまで旅を続けていたが、今回は実に不思議だった。妙な感覚、感情が入り乱れる。なのにそれは、決して不快ではないのだ。そして幾度か訪れた、確信めいた思い。これは一体何なのだろうか。この場所には、何か特別な意味がある。そんな気がしていた。
確かめてみたい。しかし、何を、どうやって確かめる?
「さぁ。そろそろ始まる頃だ。今年は何を見せてくれるのかね。」
そう言って健一は立ち上がった。そう、見世物小屋が開くのだ。しかし頭の中はこの場所のことで一杯で、既に興味は失せていた。それでも健一に引かれるがまま、私は見世物小屋の中へと消えていった。
祭りが終わり、家に帰ると、喧騒から解放されたから、急に疲れを感じた。私はのろのろと布団を敷くと、そのまま倒れこみ、自然と目を閉じた。あっという間に闇に包まれる。しかし意識ははっきりとしていた。やがて闇の向こうから、ぼんやりと映像が浮かぶ。
それは洞窟の入口だった。気が付けば、私もその洞窟の入口に立っていた。辺りを見回すと、いつも一緒にいるはずの健一の姿はなかった。ただただ天頂には太陽が輝き、木々の間から光が差し込む。私一人、何故こんな所にいるのか。それに加え、地に足が付かないというか、ほんの少し身体が浮いているような感覚があり、それが何とも不思議だった。
と、不意に足が動き、滑るように洞窟の方へと導かれた。自分の意思ではない、何かの力が加わっているというのに、何故か焦ること無く、そのままに洞窟の中に入っていった。
右へ曲がり、左へ折れ、真ん中の通路を選ぶ。何回か選択を繰り返した後、あの五叉路に到着した。目の前には昼間の探検で判明していない、前方に一つ、右方向に一つ、計二つの通路が口を開けている。そこで急に浮遊感がなくなり、私は地面に舞い降りた。急激に体重を感じる。
と、尻ポケットに何かを感じた。取り出してみると、それは健一と作っていたあの地図だった。しかしそれは全ての道が記された、完全な地図だった。よく見れば、少し黄ばんでいる。しかし私はそんなことを気にすることなく、五叉路の箇所を覗き込む。そこには大きな矢印が記されていた。それは丁度、目の前の右の通路を指し示し、
目が覚めた。辺りはまた仄暗い。まだ夜は明けていないようであった。
私はたった今見た夢を思い出していた。洞窟。五叉路。古びた地図。矢印。
あの矢印は何だったのだろう。何かを示しているのだろうが、それは、何だろう?
突然、強烈な違和感を感じた。何かが間違っている。しかもそれは、私自身だ。
ポケットに小さな蝋燭と、マッチを忍ばせ、私は家の者を起こさぬよう、そっと家を出た。この違和感は何なのか、何が間違いなのか。全てはあの洞窟にあるように思えた。地図はないが、夢で見た地図が頭の中に焼きついているから、迷うことはないだろう。
山の麓に着く頃には、東の空が白み始めていた。
読んで頂いてありがとうございます!
↓↓このブログ独自の「いいね!」を導入しました。少しでもこの記事が気に入って頂けたら押して頂けるとうれしいです。各著者が無駄に喜びます(・∀・)イイ!!
よろしくお願いしますm(__)m
The following two tabs change content below.
過去のホームページ時代より寄稿させていただいておりましたが、とある作品を完結させぬままに十数年すっかり忘れ、この度親方の号令により、再び参加と相成りました、todomeと申します。 主に小話を寄稿させておりますが、マンガ、ゲームにつきましても、今後ご紹介させていただこうかと思っております。どうぞお付き合いください。
コメント