たまにはエラそうに物を言いたい

グルメ
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 先日のことです。仕事帰りに近所のスーパー、佐藤九日堂(仮名)に寄りましたところ、「ご当地ラーメンフェア」という催しが開催されていました。とはいえ、別に全国各地に名店がズズズィィッと軒を連ねている訳ではなく、いわゆる「ご当地カップ麺」がまとめて販売されていたのです。



 博多、京都、尾道などなど。ラーメンバカの端くれである私はほぼ自動的に売り場へと足を進めました、そこでふと「我、天啓ヲ得タリ!」となりまして(誇張)、その足を止めたのであります。



 私はラーメンの中でもトンコツが大好きですが、これまで購入したトンコツカップ麺にはホトホトウンザリしていました。以前「ラ王 復刻版しょうゆ」の回でお話しましたが、ここで今一度引用(つまりコピペ)いたしましょう。



 最近はどのトンコツもガッカリションボリでして、というのも、どうも昨今のメーカーは「コク」と「甘み」を混同しているようで、ラベルでは「濃厚!」とか「特濃!」とか「口の中ベッタベタ!(こんなことは言わない)」とか謳っているのに、いざ食ってみると何か妙に甘いだけというモノばかりだからです。まぁ私の口がおかしいかもしれませんが(譲歩)。



 あぁ、可哀想な2018年2月19日の私!現世市井のトンコツカップ麺に絶望しているッ!あたかも暗い夜道で途方に暮れるダンテのようにッ!しかし考えてみれば、トンコツラーメンのあの風味をカップ麺に求めようというのが無理な話かもしれず、もしかしてひょっとして、ニポンラメーンのファミリーベーシックである(意味不明)しょうゆ味ならば、世を儚むこともないやもしれぬ。



 そう考えた私は、かつて居を構えた京都の味を選び、「ぁあぁあ、青春の味!」とひとり盛り上がることを期待して帰途に就いたのです。が、結局目を真っ赤にして泣きじゃくりながら残ったスープをシンクのリムボ(辺獄:なんてことはない三角コーナー)に流し込んだことは、口が裂けても言いますまい。



 ということで、今回お話したいのは「カップ麺はカップ麺であれ!」という極論であり詩論であり傲慢であります。



 かつてカップ麺は「お菓子麺」で揶揄されるくらい(少なくとも我が家では)、本格的なラーメンの味は求められない食べ物でした。麺がある、スープがある、一応具もある。しかしこれは決してラーメンではない。いや、むしろラーメン感を求めてはいけない。カップ麺はそんな食べ物であったように思えます。



 それがどうしたことでしょう、いつの頃からか(多分生麺タイプのカップ麺が出た頃から)、我々人類はカップ麺に本当の本物のラーメン感を求めるようになりました。あなおそろしや…ッ!



 最初は「これは本物のラーメンみたいだねぇ」とか「なかなか具が豪華だねぇ」とか、それはそれは無邪気なものでした。しかし人間の欲望は「猿の手」よろしく限りがなく、あたかも天を突くバベルの塔をこしらえたように、カップ麺を本物のラーメンにしようと企んだのです。



 より生麺のような食感を求め、より複雑に出汁が絡み合うスープを求め、あるいはより肉厚で食べ応えのある具を求めました。そしてある程度までは成功し、本物のラーメンまであと一歩というところまで来ました。



 しかし、CGやロボット工学における「不気味の谷」と同様に、そこから歩を進めようとすればするほど、本物のラーメンとは似ても似つかぬモノが生まれてきたように思えます。特に例を挙げませんが、しかし私がこれまで食べてきた「ご当地ラーメン」はなまじ本物を知っているが故に(京都ラーメンは週5で食べてました)、私には全く別物にしか思えませんでした。ここで私は大胆にも断言いたします。



「カップ麺はラーメンになれないのです」



 もちろん、メーカーの皆さんは血反吐を吐くような開発努力をなさっているのはよく分かります。しかし結果としては到底本物のラーメンになりえないと言わざるを得ません。



 何故なれないか。やはり乾燥技術の限界なのでしょう。あたりめを戻しても生のイカに戻らないように、乾燥させた麺は元の食感には戻らないのです。またレトルトタイプの生麺にしても、保存の関係から麺に何かしらの添加物を加えなければならず、それが本物のラーメンの麺とは違う味わいを生んでしまうのでしょう。



 幸いスープに関しては本物近くまで再現出来ていますが、しかし不特定多数を相手に販売するにはどうしても平均値の味、すなわち「万人受けする味」にする必要があるため、どうしてもお店の味を完全に再現するわけには行かないのだと思います。



 これは以前「カップヌードル チリトマトヌードル」の回でもお話ししましたが、やはりラーメンとカップ麺は全く別の食べ物なのです。そもそも即席麺を発明した賢人安藤百福をして、「(チキンラーメンは)普通のラーメンとは違う食べ物である」と説いているのです。



 しかしカップ麺には相当量の需要があることも事実です。何故人はカップ麺を求めるのか。これは「チリトマトヌードル」の回でもお話ししましたが、それはカップ麺を買う人は、決して本格ラーメンの味を求めているのではなく、カップ麺の味を求めているように思えるのです。



 私感ではありますが、私がカップ麺を食べて満足感を得るのは圧倒的に「いかにもカップ麺」なカップ麺を食べた時です。敢えて例を挙げますと「カップヌードル」や「チキンラーメン」、「ぺヤングヌードル」や「ブタメン」、「赤いきつね」と「緑のたぬき」など、どう考えても「ラーメン(あるいはうどん)」と名乗ることが図々しいニクイカップ麺(褒めてますよ)ばかりなのです。



 これらのカップ麺の味を表現するとすれば、「食ってなんかウマイ」としか言いようがありません。「ウマイ」であって「美味しい」とか「美味」ということではなく、いわば駄菓子屋でうまい棒やヨーグルを食った時に感じる「ジャンクなウマさ」なのです。



 これらのカップ麺は本物のラーメンの食感や味、風味などを、誤解を恐れずに言えば、完全に無視しています。さらに乱暴に言わせていただければ、これらのカップ麺には「ラーメン(うどん)になろう」という気はさらさらなく、先の「なんかウマイ」だけを追い求めていると言えましょう。



 なるほど、この「ウマイ」が至上命題なのですから、本物のラーメンやうどんを追従する必要はまるでありません。むしろ安藤翁の言葉「ラーメンとは違う食べ物である」を素直に従って、つまり「ラーメンでなければならない」という呪縛から解き放たれ、単純に油で揚げた麺に合うようなスープを作れば良いのです。元々「ラーメンとは違う食べ物」なのですから、どんな形であろうとウマければ良い。そんな自由なスタンスこそがカップ麺であるように思えます。



 恐らく、世のカップ麺を求めるほとんどの人が、この「ジャンクなウマさ」を求めているように思えます。そりゃそうです。本当のラーメンを食べたければ、別に会員制でも遠く海外にあるわけでもないのですし、遠くのご当地ラーメンも今や近所やショッピングモールなどで見つけることが出来るのですから、本当のラーメン屋に行けば良いのです。それでも敢えてカップ麺を選ぶのは、カップ麺の味を求めているからなのです。



 そんなわけで、田舎のカップ麺好きとしましては、メーカーの皆さまが本物ラーメンを追い求めるよりも、むしろジャンクなカップ麺らしさを追求して、さらにお菓子っぽい愉快なカップ麺を作ってくれることを願ってやみません。





 …と、ここまで書いて、フト気が付きました。そういう私こそがカップ麺にラーメン感を強く求めているのです。これはいけない。そこで私は考え、決意しました。



 今後ご当地カップ麺は「ラーメンと思わない」で食べることにします。思えばこのオリジナルとはちょっと違うご当地ラーメンも、食ってみればそこそこウマイのです(だからこそ懲りずに買っている)。つまりこれもまたカップ麺の「なんかウマイ」に含まれるわけ、従ってご当地カップ麺もまぎれもなく「カップ麺」なのですね。



 「ラーメンは国民食」と言われていますが、しかしその起源は中国にあります。しかしカップ麺は紛れもなく日本で生まれ、独自の進化を遂げてきました。案外カップ麺こそ、日本の国民食と言えるのかもしれません(それっぽくまとめる)。



 以上!完!


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todome

過去のホームページ時代より寄稿させていただいておりましたが、とある作品を完結させぬままに十数年すっかり忘れ、この度親方の号令により、再び参加と相成りました、todomeと申します。 主に小話を寄稿させておりますが、マンガ、ゲームにつきましても、今後ご紹介させていただこうかと思っております。どうぞお付き合いください。

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