*注:今回お話する内容には有用な情報が何一つ含まれておりません。何かしらの情報をお求めである方にはまったくもって役に立ちませんので、改めて検索し直すことをおススメいたします。
先日、と言っても数年前のこと、愚兄と無駄話をしておりますと、楳図かずお先生の話になりました。何を隠そう私は「漂流教室」が大好きでして、学生時代に本屋の立ち読みで全巻読破したくらいですし(外道)、「神の左手悪魔の右手」は軽くトラウマとなっています(褒め言葉)。
さて愚兄曰く、楳図作品にはキメ台詞があるものだ、とのこと。実際、楳図作品では「ギャーッ!」「ウワーッ!」がそれにあたり、特に秀逸なのが「出口がなくなってしまった!」だと言うのです。
思い返せばなるほど、楳図作品では何かというと、崩落やら爆発やらで出口がなくなり、主人公たちの退路がなくなる場面が良くありますし、当の主人公たちもわざわざ「出口がなくなってしまった!」とやや説明気味に絶望してくれます。的を射ているとはまさにこのことですよ。
思えば他のマンガでもこういったキメ台詞があるようで、例えばみんな大好きF先生であれば「○○を殺して僕も死ぬ!」(のび太がスネ夫にキレた時)とか「悪いなのび太、この○○二人用なんだ」(スネ夫がのび太をハブる時、道満先生も愛用)とか、いわゆる作家性が色濃く出たセリフと言うのは傑作の必須条件なのかもしれません(もっともA先生の「ドーン!」は(喪黒氏の顔芸込みなので)反則なのでカウントしない)。
このようなキメ台詞を使えば何気ない、もっと言えば砂を噛むような日常生活にも含みや潤いを与えることが出来るわけで、例えば出先から帰ってきて己が部署のドアを潜った途端に「出口がなくなってしまった!」と言えば、アラアラたちまちアナタも楳図作品の主人公になれます。
もっとも同僚に戸口で「出口がなくなってしまった」などと口走ってるのを目撃されようものなら、「あぁ、彼奴は疲れているのだな」とかなんとか曲解され、部署内で村八分になってしまうのは火を見るよりも明らかです。人は誰しも狂気を持っているものですが、いたずらにダダ漏れさせるのは社会人としてよろしくありません。
このような悩みは以前、故中島らも氏の「明るい悩み相談室」でも取り上げられており、「仕事中に突然奇声を発したくなるのですが、どうしたらよいか」というものでした(私に言わせればこういう狂気を持っていてこその社会人である)。今なら一人カラオケなりで存分に奇声を発すればよいのですが、当時(昭和60年代だったか)はそんな文化はありませんでした。さて鬼才らもさんはどう答えたのか。
曰く「あ、○○…か。」という文脈で発すればよい、とのことでありました。例えば「ちょんぴろすぽーん」と発したくなったとしましょう(元ネタ:サルでも描けるまんが教室)。この奇声を生のままで発するのではなく、「あ、ちょんぴろすぽーん…か。」という形に変えることで、あたかも「何かを思い出そうとして、今思い出した」という感じを演出せよ、というわけなのです。
なるほど、これなら奇声の持つむき出しの狂気を上手くオブラート(今の子はオブラートってわ分かるかしら)に包むことができます。しかし「仕事中なのに全く別のことを考えていた」という「不真面目さ」が代わりに出てきてしまうことになり、この点については知りません、というのがらもさんの回答でありました。
ですから職場で「こいつは不真面目だ」というレッテル(レッテルは死語かしら)を被る覚悟があるのならば、戸口で開口一番「あ、出口がなくなってしまった…か。」と口走ればよろしい。ただ原作の疾走感がまるでなくなってしまうので、爽快感はないでしょう。爽快感がないもののために不真面目レッテルを被るのは大損な気はします。
奇声と言えば、かつて血風録でおなじみの二次元大好き氏が急に「キテレツを殺してワガハイも死ぬナリ!」と口走ったことがありました。恐らく「キテレツ大百科」が元ネタなのでしょうが、私はキテレツ大百科も大好きで、全話読破しましたが、作中にこんなイカレコロ助のセリフはありませんでした。つまりこれは「F先生作品あるある」なわけで、先の「○○を殺して僕も死ぬ!」を二次元氏がマッドコロ助風にアレンジしたわけです。
私はこのセリフが気に入り、これを叫んだコロ助がキテレツに飛びかかるコマを一コマ目とし大河バトルマンガを大学の講義室の机にラクガキするのですが(なんでかブタゴリラがヒロイン役)、掃除のおばちゃんに全消しされ、未完となったのは逆に良かった気がします。
このようにF先生の血脈は確実にその後の世代に受け継がれている訳ですが、それは必ずしも良い影響だけでなく、いわば負の遺産も存在するのです。その最たるものが「ジャイアンリサイタル」でしょう。
ジャイアンリサイタルとは音痴であるジャイアンが数時間に渡って歌を披露するという、まさに生き地獄であります。正直めまいや吐き気を覚えるような歌声にはまだ出会ったことはありませんが、のび太たちの苦悶の表情やドラえもんがロボットであるにも関わらず心身に不調を訴えることから、私達の世代は「これは大変なものであるようだ」とそれはそれは戦慄したものです。
しかし同時に、私達の世代は不幸にも「リサイタル」という言葉にまで戦慄を覚えるようになったのです。つまり年末になるとあちこちのホテルの玄関口に掲げられる「○○クリスマスリサイタル」という看板を見ると、即座に豪華な宴会場でジャイアンが気持ちよさそうに騒音をまき散らし、大の大人がネクタイ締めて、じっと下を向き、顔中汗まみれで、口の端から舌がはみ出し、目をギュッとつむって耐えている情景を浮かんでしまうのです。
これは「ディナーショー」も同様で、実はジャイアンは一時期料理に凝ったことがあり、それが高じてディナーショーを企画したことがあります。メインディッシュはたくあんやセミの抜け殻が入ったシチューであり、しかしジャイアンが自分で味見してぶっ倒れたために、幸い実現しませんでした。
かくして我々はディナーショーと聞くと、吐き気をもよおす騒音の中、汗びっしょりで身を固くした大人たちの前にジャイアンシチューが湯気を立ててスタンバっているという阿鼻地獄が脳裏に浮かび上がるのです(私だけかもしれませんが)。これがトラウマでなくてなんでしょう。負の遺産でなくてなんでしょう。あぁ、我らニポン人の血はまさに呪われていると言えましょう(言えません)。
そんなわけで、今回は日本が誇る天才漫画家、藤子・F・不二雄先生の偉大な足跡をたどってみました。当初は楳図かずお先生だった気もしますが、途中で目的が変わってしまうのは「バラモスかかと思ったらゾーマだった」というドラクエ的日本文化の現れですから、むしろ誇りに思うべきでしょう。
以上、寝言終わり。寝言なので寝ます。
*ところでこの文章を書いている最中にふと「ちょおんまげかくすっぺー」という言葉が浮かびました。以前読んだ「VOW(珍奇看板大百科)」に掲載されていた語呂合わせなのですが、いかんせん、何の語呂合わせだか忘れてしまいました。気になって「伝説のオウガバトル」が手に付きませんので、奇特な紳士の皆様の中でご存知の方はご一報ください。謝礼は出ません。
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