またまた道満先生の新作が出ました。これまでは数年に一回の刊行ペースだったのに、どうしちゃったの?道満先生?お米のオゼゼが寂しいのか、それともついに時代が追い付き引っ張りだこ、夢の印税生活なのか、ともあれ道満先生の新作が読めるのは大変喜ばしいことであります。てなわけで、今回は道満先生の新作「バビロンまでは何光年?」をご紹介いたしましょう。まずはカンタンなあらすじからどうぞ。
…時は近未来。絶対生物「ホッパー」、機械生命体「ジャンクヒープ」、そして最後の地球人「バブ」の三人が乗った宇宙船が、それはそれはのんびり宇宙を駆けていました。ホッパーとジャンクヒープが粉々になった地球を訪れた時、カプセルに入って漂っていたバブを拾ったのです。バブは記憶を失っており、どうして地球が消滅してしまったのか分かりません。彼らは宇宙の星々を訪ね、バブの記憶を取り戻し、地球消滅の真相を探る旅をしているのです…。
道満先生はどちらかと言えばファンタジー色の強い作品を描かれますが、今回は珍しくSFであります。しかし、ここで言う「SF」はいわゆる「サイエンスヒクション」ではありません。日本が誇る天才ストーリーテラー、藤子不二雄先生(特にF先生の方)が言うところの「すこしふしぎ」の方であります。
というのは、勘の良い方ならお気付きでしょうが、SFもので「絶対生物」と「機械生命体」と「地球人」が「宇宙を旅する」と来ちゃっては、それはもう「21エモン」ということになります(異論は受け付けます)。事実、本作にはありとあらゆる場面で明らかに藤子不二雄リスペクトでオマージュな描写(すなわちナンセンスなボケとツッコミの応酬)がてんこもりであり、また、カバーの表紙は間違いなく道満先生の絵なのですが、カバーを外すとどう見ても藤子不二雄タッチの別バージョンが描かれています。ああ、F先生の魂は脈々と受け継がれているのね…。
しかしそこはボクらの道満先生です。相変わらずギリギリアウトなギャグや下ネタの連続であり、実際、第一話からデッドボール級の下ネタをぶつけてきますが、これは「なんかF先生っぽい設定だけど、これは紛れもなく道満晴明の作品なので、油断しないように」というケツイ表明と(私が勝手に)受け取りまして、私は下ネタを前に襟を正してしまいました(武士道)。
で、読み進めていきますと、そこはいつもの道満節、あちこちに張り巡らされた伏線と見事な回収は見事でありまして、「何故地球は消えてなくなったのか?」という謎に向かって、スゴイスピードで読者を引き込んでいきます。また相変わらず道満先生の描くおねーちゃんはカワイイですし、写実とデフォルメのテンポ良い書き分けが物語に心地よいリズムを刻んでいます。
こうなりますと前作「メランコリア」や傑作「ヴォイニッチホテル」と肩を並べる作品と言えますが、しかし本作の完成度、というか「『なるほど!』と膝を打つ度合い」は先の2作に比べ格段に高いと感じます。というのは恐らく、先の2作が「群像劇」であったのに対し、本作はいわゆる「ロードムービー」、つまり群像劇に比べて比較的少ない数の登場人物の視点から出来事を描く、一般的な劇形式であったからだと思われます。
群像劇はたくさんの登場人物がそれぞれに動き、それぞれに出来事が起こり、それらが全体として一つの流れを作っているという物語の形式です。したがって読者は物語の要点を文字通り断片的に提示されることになり、全体像を把握出来るのは物語の最終盤、つまり「オチ」の段階であり、上手に構築すればとてつもないカタルシスを導くことが出来ます。
しかしあまりにも複雑な構造、例えば登場人物がメチャクチャ多いとか、登場人物同士の繋がりが意図的に隠されているなど、何らかの形で読者の理解が滞ると、結末がやや唐突に感じられ、カタルシスどころか作者の独りよがりとなりかねず、相当な手腕が必要とされます。幸いにも道満先生は十分にこの手腕をお持ちのため、先の2作では高い評価を得ています。
対してロードムービー、つまり一般的な劇形式は先述のように、少人数の視点で語られます。本作であれば宇宙をさまよう3バカ+αの視点なわけで、彼らのドタバタを中心に話が進んでいきます。つまり読者は登場人物の把握が容易であり、結果提示された要点に集中出来ると言え、伏線は誤解されることなく読者に伝わり、結果、本作の謎「地球消滅」の真相が少しずつ見えてくる仕掛けとなっています。
つまり先の2作では伏線が最終盤で一気に「あ、そうか!」だったのに対し、本作では伏線が「アレ、コレ○○なんじゃねぇの?」という、いわば読者に推理の余地が残され、ある程度予想させているように感じられます。もちろん、どちらの劇形式が優れているという話ではありませんが、少なくとも私は先の2作よりも「腑に落ちました」。
群像劇のカタルシスは素晴らしいものですが、個人的にはどうしても「唐突感」が拭いきれず(もちろん、これは「驚き」とも言えますし、「オマエのオツムの調子が悪いのだろう」と言われればグウの音も出ませんが)、本作のような「ジワジワと見えてくる」方が私の好みであるようで、実際、本作を読み進めていくと、「アレ、もしかして…?」と感じる箇所が所々あり、果たして真相は当たらずとも遠からず、という場合が多くあり、何だか作中の3バカと共に謎に挑んでいるような感じがして、そのような意味では非常に臨場感を感じたのであります。
ですから本作は「メランコリア」よりも登場人物が整理され、「ヴォイニッチホテル」よりも伏線の驚きが多く散りばめられた、何と言うかバランスの良い作品であると思えました。うん、やっぱり道満先生は面白いや。
さて、本作を読み終わり、まず真っ先のいの一番にボカ~ンと頭に浮かんだのは、以前当ブログでもご紹介したヴォネガットの「タイタンの妖女」でありました。カンタンにご紹介しますと、「世界一の大富豪が『とある意思により』宇宙をさまようハメになる」というお話で、そうです、実に本作「バビロンまでは何光年?」に近い構造となっているのです。しかし、です。
ヴォネガットは「巻き込まれる人」を好んでモチーフとする作家で、そこには宿命とか運命論とか、ある種の諦め、無常観が漂っています。ですからヴォネガットの作品の主人公はみな、宿命を受け入れ、流されるままに静かな人生を送っています。ところが本作は違います。主人公の3バカは徹底的に「とある意思」にケンカを売り、宿命に抗います。それどころかひたすら「生」を楽しみ、つまりは腹いっぱいメシを喰い、浴びるほど酒を飲み、おねーちゃんの尻を追っかけます。
思えば道満先生とは切り離せない物語要素である「エロ」も人間の根源的欲求に他ならず、それを本人が知ってか知らずか、本作では「エロ」は非常に重要な意味を持っています。それが3バカの運命を大きく変えるのですが、そんなことよりも、私は道満先生は訳知り顔に澄ましている現代人を笑っているように思えます。
「どんな悟りに至っても、やっぱりオレ達はエロい」。つまりは「生」のエネルギーこそが、あらゆる困難を打ちこわし、未来を切り開くのでしょう。その様は間違いなく、非常に泥臭いものでありましょうが、しかし私達人間はそもそもそんな大層な生き物ではない、道満先生はそんな風に語りかけているように思えるのです。
ということで、本作はガワは藤子テイストな「すこしふしぎ」でありながら、中身はヴォネガットはだしの「ガチSF」であり、しかし出来上がった物は紛れもなく人間賛歌を謳い続けた道満作品であったのです。
とは言うものの、マンガは読むもので語るモノではありません(多分二回目)。いつもなら熱帯雨林へのリンクを貼りますが、今回は前情報はこのくらいにして、出来るだけまっさらな状態で本作に触れてほしい、というのが私の願いでありますので、貼りません。それどころか、こんなゴミ作文なんかはさっさと見切りをつけて、今スグ書店に走ることをお勧めします(個人的に紙の本で読んでほしいのです)。今回も見事な語りを見せる道満先生をご覧くださいね(何様)。
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