さて前回もお話しましたように、メタルブラック発表は1991年。この頃の私は中坊で、ドップリとゲーセン小僧だったわけですが、基本的にはナムコ直営のゲーセン「キャロット」を本拠地としていました(おおげさ)。理由は極めて簡単で、「1プレイが50円だった」からに他ならないわけで、さすがに競合メーカーの新作の入荷は少々遅れ気味であったものの、店長のイキなラインナップのおかげで、常に刺激的なゲームの数々に触れることが出来ました。
…そう、「新作の入荷は少々遅れ気味」だったのです。つまりメタルブラックが発表された当時、キャロットには当然の如く入荷されず、それなら私が何をしていたかと言えばタイトーのSF陣取りゲーム「ヴォルフィード」でした(この時の模様は前シリーズ「いにしえゲーム回顧録」でお話ししていますので、お暇ならどうぞ)。それこそ毎日サルのようにプレイしており、近所の他のゲーセンに偵察に行くなんてことは考えもしませんでした。
…なんですか、その呆れ気味の残念そうな顔は。いやいや、皆さん自身の中学生の頃を思い出してくださいよ。世界は広いようで、結構狭い範囲でしか行動していませんでしたか?学校が終わっても、友達の家に行くか、友達とどっかの公園に行くか、どこか行きつけの店(私の場合はゲーセンでしたが)に行くかで、案外決まりきった毎日ではありませんでしたか?外界への興味が芽生えるのはせいぜい高校生になってからで、それまでは箱庭のような小さな世界が全てではありませんでしたか?
まぁ、私、いや私とその仲間達は少なくともそうだったわけで、実際セガ直営の「ハイテクセガ」やタイトー直営の「タイトーイン」はものすごく近所にあったのにも関わらず、そしてどちらの店も1プレイ50円だったのにも関わらず、近寄りもしなかったのです。今思えば非常に惜しいことをしましたが、年相応のバカさ加減と諦めています。そんなわけで、メタルブラック発表当時、私は全くプレイしなかったのであります。
さて時は下って、私は高校生になりました。依然としてゲーセン小僧でしたが、中坊の頃とは格段に進歩していました。まず「ゲーメストを購読する」ようになり、「キャロット以外のゲーセンにも出向く」ようになったのです!
あぁ、ゲーマー達の間違ったバイブル「ゲーメスト」!(褒めてますよ)当時としては貴重な全国規模でのハイスコア集計や、溢れすぎたゲーム愛が迸る読者投稿のファンページ、しまいにはゲームグッズの通販にまで暴走した、(いろんな意味で)伝説のアーケードゲーム専門誌でした。
ゲーメストに掲載された様々な情報は、キャロットに未だ入荷されない新作への興味を強くかき立てました。それは結果として、キャロットの外へと、つまり近所にありながら見向きもしなかったゲーセンへと足を運ばせました。先のハイテクセガやタイトーインに留まらず、私と仲間達は自転車で体力の続く範囲まで足を延ばし、結果「ギャラクシアン3 シアター6」や「がんばれギンくん」と出逢うことになります。
とはいえ、毎回毎回体力尽きるまで遠征していたわけではなく、やはりキャロットが中心でしたが、この頃キャロットの真向かいにメーカー直営ではない、どんなメーカーのゲームも隈なく入荷する、いわゆる「多国籍ゲーセン(オレ命名)」がオープンし、そちらもホームグラウンドとなっていました。そこで私は「ダライアス外伝」や「バース」をやり倒しており、常連さんとも親しくしていただきました(ちなみに「ゲーセンノート」に触れたのもこのゲーセンが最初で、文章を書く楽しさを知ったきっかけでもあります)。
その日もダライアス外伝をプレイし、クジラドリル稼ぎを見事失敗し、それでもノーボムでクリアし、常連さん達から「おぉー」とお褒めの言葉を預かっていました。私がネームエントリーを済ませると、常連さんの1人であるOさんが話しかけてきました。
「すぐそこのセガに『メタルブラック』ってのがあるんだけど、あれもやってみてよ!」
Oさんは私の向う見ずなプレイスタイルが気に入ったらしく、またこの時期(くどいようですが、この時期は格ゲー全盛期)では珍しくSTGが好きな方で、私はよく話をさせていただきました(もちろん年上の方なのです)。恐らく、これほど毎日ダライアス外伝をプレイしている私なら、その「メタルブラック」というゲームを気に入るのだろうと思ったのでしょう。
…しかし私はやっぱりメタルブラックをプレイしませんでした。何故かって?そりゃ、ダライアイス外伝とバースを毎日やり続けていたからです。ダライアス外伝もバースも非常に「もつ(1プレイが比較的長い)」ゲームだったので、金のない高校生には貴重なゲームでしたし、何よりもダライアス外伝は稼ぎが面白く、バースは全30面という長丁場で、しかも私は29面で足踏み状態だったので、両ゲームの攻略に忙しく、新しいゲームには目が行かなかったのでした。
…実はもう1つ理由があります。それは「聞いたことのないゲームだったから」でした。これまで本シリーズを読んでいたただいた方ならお分かりでしょうが、基本的に私は新しいゲームをなかなかプレイしません。誰かに勧められても、実際のプレイシーンを見たり、雑誌等である程度の情報を得ないとプレイしません。ジャンルがSTGと分かっていても、大まかなゲームの概要が分からないと、とても身銭を切る気にはなれなかったのです。それは今でも同じで、例えばバーチャルコンソールで面白そうなソフトを見つけたとしても、ネットでどういうゲームなのかを詳細に調べてしまいます。まぁ、貧乏性なんですね。
そんなわけで近くにメタルブラックが設置されていたにも関わらず、私はひとつも触ることはありませんでした。しかしメタルブラックをそっちのけにした原因であるダライアス外伝が、意外にもメタルブラックへの興味を促すことになるのです。
ダライアス外伝に相当傾倒していた私は、惚れ込むあまりにサントラCDを買ってしまいました。そして毎日のようにCDを聞き、完全にダライアス外伝にのめり込んでしまいました。そうなると、過去のダライアス、つまり初代やⅡがどんな内容だったのかが気になりました。時を同じくして、ナムコが過去の自社作品をまとめた「ナムコミュージアム」をPSでリリースし、こちらにも私はドップリとはまってしまいました。これら2つが私をレトロゲームの世界へと引き込みました。一体、かつてのゲーセンにはどんなゲームがあったのだろう?
しかし当時はまだネットが発達していなかったので、調べようにも手段がなく、ゲーセンに運良く設置してある現物を見るしか方法がありません。また購読していたゲーメストでも、ダライアス外伝の紹介記事にはこれまでのダライアスシリーズについての紹介があったり、また時折過去のゲームについて語られるコーナーがあったりしましたが、非常に小さな記事だったために断片的にしか分かりませんでした。しかし恐らく同じような思いを抱いた方が大勢おられたのでしょう。ゲーメストを発行していた新声社からあるムック本が発売されました。
それは「ザ・ベストゲーム2」という本で、この本が発売された1997年現在において、それまでに日本で発表されたほとんどのアーケードゲームを紹介した本でした。1980年前後のゲームから紹介していたので、タイトル数は膨大であり、したがって各タイトルに割けるページも少なく、実際1タイトルにつき1/4ページほどで、画面写真が1枚と、400字前後の紹介文が掲載されている程度でした。どちらかと言えばゲーム内容についてはあまり語られず、記者がどのように遊んだか、どのように感じたかが中心に書かれており、厳密な資料としての意味合いは薄いのですが、しかし過去のゲームを知る入り口として、私にとっては非常に価値のある一冊でした。
早速私は購入し、過去のゲーム達をそれこそ舐めるように眺めました。初代ダライアスがどのようなものだったのかを知り、「STG史上初の撃ち返し弾(敵を破壊すると弾を飛ばしてくるシステム)」を搭載した「サスケVSコマンダ」に驚き、昔近所の銭湯にあったゲームが「Mr.DO!」であることに気が付きます(何故銭湯にあったのかは永遠の謎ですが)。あぁ、面白そうなゲームだらけだ!しつこいようですが、格ゲー全盛期の真っ只中にいた私には、様々なジャンルが百花繚乱であるレトロゲームの世界は実に魅力的に映ったのでした。
さて、そんな中にメタルブラックの紹介記事がありました。写真には一面の砂漠とビルの廃墟が写っており、それだけでもドキリとさせられるシーンでした。そこへ持ってきて、記事では「深いストーリー」、「幻想的なグラフィック」、「物悲しいメロディ」とあります。ダライアス外伝でゲームミュージックの面白さを知った私には、この「物悲しいメロディ」という記述が目を惹きました。メーカーを見ればタイトー、つまりダライアス外伝と同じサウンドチーム「ZUNTATA」によるものです。この事実は強く私を惹き付けました。
このようにメタルブラックの情報を得たことにより、新しいゲームをやりたがらない私もいよいよ興味を抱きました。つまりフラグが立ったのですね。あぁ、是非このゲームをやってみたいものだ!そこで不意に、例の多国籍ゲーセンでの常連さんとの会話を思い出しました。
「すぐそこのセガに『メタルブラック』ってのがあるんだけど、あれもやってみてよ!」
…このゲームが、近所のハイテクセガにあった?しかしあれから数年経っています。しかもSTG斜陽の時代、格ゲー全盛期です。まだ設置してあるはずがありません!私が声ならぬ声で叫んだのは言うまでもありません。今思い出しても、自分のバカさ加減にはゲボが出そうですが、この時ほど「時すでに遅し」という言葉を強く感じたことはありませんでした。
そして時は流れ、私は進学受験のために上京することになりました。試験は緊張しますが、実はお楽しみがありました。1つは秋葉原のレトロゲーセン「トライアミューズメントタワー」に行って、レトロゲームを満喫すること。もう1つは神保町のある店に行くことでした。
前者の存在はゲーメストのレトロゲーム関連の記事で存在を知っていましたし、何より初代ダライアスがあるというとんでもないゲーセンなので、隙あらば行ってやろうと企んでおりました。後者は他でもないゲーメストを発行している新声社が経営しているゲームグッズショップ「○ゲ屋(まるげや)」でした(本当は「○」の中に「ゲ」が入っているのですが、パソコンでは出ません)。ここで地元では手に入らない、初代ダライアスのサントラを購入しようと目論んだのであります。
そして試験はいろんな意味で夢のように終わり(結果は推して知るべし)、私はそのまま秋葉原へ直行します。そしてトライアミューズメントタワーで本来の意味で夢のような時間を過ごし、そのまま神保町へ向かいます。神保町は横道に入ると、もう位置関係がよく分からない魔宮ですが、当時はGPSとかありませんから、仕方なくゲーメストに載っていた地図をノートに書き写し、それを見ながらウロウロします。そして遂に見つけた○ゲ屋でダライアスのサントラを買い、もう1枚は「ダライアスⅡ」(「ナイトストライカー」が同時収録)にしようか、「サイバリオン」にしようか悩みました。
結局「ダライアスⅡ」を購入し、ついでにメタルブラックもないかしら、と探しましたがありませんでした。それでもダライアスシリーズのサントラを2枚も入手出来たので大満足です。さて、そのまま神保町の古本屋街を歩きます。この頃の私は推理小説を皮切りに本の虫でもあったので、何か珍奇な本でもないかしら、と全くのノープランでぶらつきました。と、一軒のゲーセンを見つけます。こんな所でも目が行ってしまうのは、さすがゲーム脳と言ったところですが、店内に入ってすぐの所で、私の目は1つの筐体に釘付けとなりました。
それはメタルブラックの筐体でした。はるばる東京まで来て出会うとは、何たる運命。そして幸運。私はもう何も考えずに、それこそインストカードも見ずに、忘我の境地でコインを投入しました。
ブラックフライ発進のデモ。廃墟のビル群を抜けると、そこは一面の砂漠。画面外から漂う三色球「NEWALONE」。店内の喧騒の中、私は筐体から流れるBGMに耳を傾けました。透明で、勇ましくて、どこか寂しい曲でした。あぁ、「ザ・ベストゲーム2」に書いてあった通りだ。そして思っていたよりもむつかしいぞ、このゲーム。予想よりも高い難易度に動揺し、うっかりビーム解放ボタンを押してしまいましたが、極太ビームを発射がスゴイインパクトで、とても面白かったです。
しかし敢え無く2面途中でゲームオーバー。もう1プレイしたいところですが、電車の時間が迫っています。あぁ、これまで何度も機会があったのに、もっと早く遊びたかった。私はしばらくデモ画面を見つめ、しかしストーリー説明が全部英語だったためにさっぱり分からず(私は英語がとてもとても苦手です)、それでも先程聞いた1面のBGMが幾度となく脳内で繰り返されました。そして私は後ろ髪引かれる思いでそのゲーセンを後にし、そのまま東京を後にしました。
新幹線の中でダライアスのサントラのライナーノーツを読みながら、しかし心はメタルブラックに向かっていました。…地元で探してみよう。少しくらい遠くても、何とか通ってクリアしてみたい。そう決心した私は、どうしてCDウォークマンを持って来なかったんだろう、と悔やんでいたのでした。
…しかし、メタルブラックとは、これまた意外な形で再会することになるのですが、今回は長くなってしまいました。また次回といたしましょう。
続きます。
読んで頂いてありがとうございます!
↓↓このブログ独自の「いいね!」を導入しました。少しでもこの記事が気に入って頂けたら押して頂けるとうれしいです。各著者が無駄に喜びます(・∀・)イイ!! よろしくお願いしますm(__)mtodome
最新記事 by todome (全て見る)
- ショーの裏側見せますの巻 (映画「地上最大のショウ」) - 2021年2月20日
- きになるお年頃の巻 - 2021年2月17日
- 甘い生活の巻 - 2021年2月8日
- 冬のお供といえばの巻 - 2021年2月3日
- いにしえゲーム血風録 二十二回表 「イメージファイト(ポッド編)」 - 2021年1月30日
コメント