大石まさる 「水惑星年代記」

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 さて今回は大石まさる氏「水惑星年代記」をご紹介したいと思います。思えば大石氏を知ったのは、以前の「みずいろ ~パーフェクト~」の回でもお話しましたが、某書籍通販サイトで芦奈野ひとし氏の作品「ヨコハマ買い出し紀行」(私はこの作品が大好きです)のページも見に行ったところ、お決まりの「こんなのもありますよ」と他の作品も勧められ、その中で見つけたのが大石まさる氏でした。

 そして「ヨコハマ~」にテイストの似た作品ということで購入したのが今回の「水惑星年代記」というわけなのです。で、ガチのSF考証に私は大変夢中になり、大石氏がすっかり気に入ってしまいました。そこで初期作品から読んでみることにし、「みずいろ ~パーフェクト~」を購入してレビューを書いたわけなのです。

 で、この度、「水惑星年代記」シリーズ全7巻を読み通しましたので、今回感想を書こう、と思ったわけです。しかし、この作品が出版されたのは2006年と10年も前の話。どうして今頃この本を紹介するのかと言えば、私が今頃この作家さんを知ったからに他なりません。

 10年前、当時の某熱帯雨林は基本クレジット決済でして、大した貯金の無い私は当然カードなど持っておらず、割高な代引きを選択せざるを得ませんでした。なので最寄の店で受け取れば送料、手数料がタダな「奈々と重一(現在は「奈々の網」)」の方を多く利用していたわけです。

 結果、2006年当時に某熱帯雨林を利用することはあまりなく、したがって大石氏を知ることはありませんでした。で、銀行口座からカンタンに振り込めるようになった現在、気軽に某熱帯雨林を利用するようになってようやく知ることになった、というわけなのです。みんな貧乏が悪いんや。

 まぁ、「じっと手を見る話」はこれくらいにして、「水惑星年代記」シリーズとはどのようなお話なのか、まずは概略から始めることといたしましょう。

 

 

 舞台は少し未来の地球、と言っても、どうやら私達がこの先歩むであろう未来ではなく、大石氏曰く「比較的アナログなテクノロジーによって宇宙に進出した」平行世界における未来の地球の話のようです。温暖化の影響により海水面が上昇し、沿岸部のほとんどが水没していますが、人類はこの試練を受け入れ、メガフロートの建設や水上移動の技術を発展させつつも、むしろ新天地を求めて宇宙を目指しているのです。

 物語は軌道エレベーター(カンタンに言うと、宇宙まで届くバカデカいエレベーター)が稼働し、人類が月にコロニーを作り始めた頃から始まります。外宇宙への探査や月への移住を経て、人類は火星への到達を目指すのです。

 

 

 このように物語は人類の宇宙開発史がメインストリームとなっています。しかし作者の力点はそこではなく、そのような宇宙開発の最中に、フツーの人達はどのように暮らしていたのか、ということにフォーカスしています。宇宙に飛び出し、月にコロニーを作り、火星にまで手を伸ばそうとしている、そんな人類なのに、人々の生活は実にささやかで、現在の私達とあまり変わらない生活様式と価値観を持っているのです。

 実際、水惑星年代記シリーズのほとんどは、このような市井の人達のほのぼのとした暮らしを描いたものであり、むしろこちらがメインストリームで、宇宙開発史はガチのSFとしての面白さは十分に持っていますが、しかしこの作品の性質から考えると、単なる狂言回しとして時間経過を描いているに過ぎないようにも思えます。そして人々の日常を描いた物語は、どれも人間の希望を描いているように思えます。

 自分の可能性を見つけに行く女性、天体観測を通じて惹かれあうふたり、世界一周レースと熱烈な恋、奇妙な昆虫を求めて空を翔ける少年、そして月で生まれた女性は火星を目指す…。どの物語も、主人公は自分の能力を信じ、1つの目標に向けて、つまり夢に向かって突っ走っています。もはや希望しか見えないのです。

 

 先述のように、私がこの作品を見つけたのは「『ヨコハマ買い出し紀行』に雰囲気が似ているから」という理由からでした。なるほど、どちらの作品も未来の話で、海面上昇により沿岸部が水没しており、物語の多くを人々の日常生活の何気ない楽しさを描くことに割いています。しかしこの「希望」という点で決定的に違うのです。

 「ヨコハマ~」は人類の種としての限界によって人口減少が止まらず、それを埋めるようにロボットが開発され、緩やかに滅んでいく人類をロボットであるアルファさんの視点で描いていく作品でした。作中の人間達はのんびりと暮らしていますが、しかしそれはどこか諦めが感じられます。それは語り部であるアルファさんは基本的に不死であるが故に、縮小していく人類が強調され、それは物語の終盤で頂点を迎えます。これは冷徹な「滅びの物語」なのです。

 対して「水惑星~」の人類は限界を知りません。ひたすら希望を持ち、己の能力の限界に挑み続けます。それは本来のメインストリームである宇宙開発史では「計画の危機を回避するために奔走する」という形で描かれ、日常の物語では「生きることの喜び」と「夢を追いかける情熱」を前面に示すことで描かれています。これらはつまり「希望」に他ならず、「人類の溢れんばかりの生命力」で溢れており、したがってこの物語は「生命を祝福する物語」なのです。この点は以前ご紹介した「みずいろ ~パーフェクト~」のメインテーマに通じるものがあり、ひいては大石氏の創作のメインテーマなのだと思います。

 

 このように、「ヨコハマ~」と「水惑星~」は「似ている」と言われながら、実は全く逆のベクトルによって描かれたものであると言えるでしょう。しかし両作品は、実は同じことを描いているのです。つまりどちらも間違いなく人間の姿を描いた作品であり、どちらも人間への愛おしさを描いている点では同じなのです。

 この点に関して、私の頭には2つの小説が浮かびました。ネヴィル・シュートの「渚にて」とアン・マキャフリーの「歌う船」です。「渚にて」は、破滅が不可避となった人類の静かな最期を描いています。対して「歌う船」は生命維持のためにサイボーグ宇宙船となった女性の生き生きとした心の機微を描いています。ひたすら死を待つ前者と、サイボーグとなって生の喜びを謳う後者は、やはり全く逆のベクトルの作品ですが、どちらもまぎれもない人間の姿を描いた作品でした。

 当たり前のことですが、ある事物を描こうとする場合、その手法は1つとは限らない、ということです。そしてもちろんどちらの手法が優れているか、という問題ではありません。重要なのは、その手法が受け取った人達の心に響いたかどうか、ということで、「ヨコハマ~」も「水惑星~」も、私の心を存分に響かせてくれた作品なのです。

 

 

 …と、毎度毎度面倒臭いに話になってしまいましたが、水惑星年代記はかなりコアなSF考証もありますが、先述の通り、むしろそれを使って夢に向かって突っ走る人間の物語なので、何かを追いかける人達の熱気がとても心地よい作品です。また大石氏お得意のサービスカットも満載で、相変わらず「明るいエロス」が炸裂していて、「あぁ、女性の胸は偉大だなぁ…」と野郎共は思わず呟くこと請け合いです。

 現在は紙媒体の方はほぼ絶版に近いので、Kindle版がお手軽です。全7巻とたっぷり楽しめますので、夢を追いかける人間の熱気で、うっとおしい梅雨払いにいかがでしょうか。きっとみなさんも何かを始めたくなると思いますよ。


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todome

過去のホームページ時代より寄稿させていただいておりましたが、とある作品を完結させぬままに十数年すっかり忘れ、この度親方の号令により、再び参加と相成りました、todomeと申します。 主に小話を寄稿させておりますが、マンガ、ゲームにつきましても、今後ご紹介させていただこうかと思っております。どうぞお付き合いください。

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