さて、懲りずに映画のお話をしようと思います。今回のお題は「グランドマスター」というカンフー映画です。…いや、カンフー映画というと語弊があるな。恐らくみなさんが抱いているカンフー映画と言えばジャッキーチェンの「プロジェクトA」(次兄が「『ストーリーを放棄すると映画はこんなに面白くなる』という見本のような作品」と絶賛しており、私もダイスキ)とか、ジェットリーの「少林寺」(あれ、少林拳ってカンフーかしら)など、派手なアクションがウリの作品を思い描くことでしょう。
しかし本作品は確かにアクションシーンはあるのですが、メインテーマはアクションから程遠い所にあるように思えます。そのあたりは後ほどとして、とにかくなんか面白かったの今回ご紹介しようと思います。で、毎度おなじみですが、私は「面白ければ監督や俳優が誰だって良いや!」というボンクラなので、「どういう内容で、どう感じたか」だけをお話しします。平気でネタバレしますのでご了承ください。あ、見終わってから調べたのですが、本作の主人公イップ・マンは実在の人物で、あのブルース・リーの師匠にあたるとか。スゲェ!「ドラゴン危機一髪」とか大好きだぜ!…ではあらすじからお話しましょう。
1936年、中国、佛山。中国武術界を総べる八掛拳の師パオセンは、引退を前に武術の南北統一を願っていた。しかし既に高齢の身であるパオセンは引退試合を開き、自分に勝った達人にこの任を任せることにした。パオセンは弟子であるマーサンを推し、南部の流派は詠春拳の達人イップ・マンを推す。
しかしマーサンのあまりに強い上昇志向を見抜いたパオセンはマーサンを追放、改めてパオセンとイップ・マンの試合が始まる。しかしイップ・マンを快く思わない人物がいた。それはパオセンの娘にして八掛拳の奥義六十四手をただ一人受け継いだルオメイであった…。
「なんだ、バリッバリのカンフー映画じゃんか」と思われる方、なるほどごもっとも。しかし物語はここから急展開を見せます。続きをどうぞ。
見事パオセンに勝利したイップ・マンであったが、その実力を疑うルオメイに呼び出され、2人は拳を交わす。互いに死力を尽くし、辛くもルオメイは勝利するが、イップ・マンの実力に感服し、また複雑な感情が湧き上がる。そしていよいよ武術の南北統一に着手する直前、日中戦争が勃発し、歯車が大きく狂い出す…。
ということで、序盤はアクション激しいカンフー映画なのですが、中盤から毛色がガラリと変わります。ネット上のこの映画のレビューを見ますと、どうやらこの急展開に面喰う方が多いようです。かくいう私もこの作品に関する事前知識なしで、完全にカンフー映画だと思って見ていたので、この展開には「え…?」と思ってしまいました。
ですからアクションバリバリのカンフー映画を期待して本作を見ると、たいそうガッカリするでしょう。しかし先にも述べましたように、この映画はカンフー映画ではないのです。私が思うに、この映画は「文化が消えていく姿」を描いた作品なのです。この点をご説明するために、物語の続きをお話しましょう。
日本軍が佛山に侵攻し、かつての社交場もことごとく日本軍に接収され、イップ・マンも住居を奪われる。また日本軍への協力を拒否したために仕事もなく極貧生活となり、さらに折悪く、香港にいたイップ・マンは交通の制限により、家族とも離れ離れになってしまう。
一方、マーサンは日本軍に協力し、次第に地位を上げる。その姿を師であるパオセンに示しに行くが、逆にパオセンは跡継ぎを破棄、逆上したマーサンはパオセンを殺害してしまう。それを知ったルオメイは復讐に燃え、修練を重ねる。そしてマーサンに闘いを挑み、激闘の末にマーサンを撃破。しかし深手を負ったルオメイはもはや奥義六十四手を使えない体になっていた。
戦後、イップ・マンは街の武術道場で師範代として働いていた。偶然にもルオメイと再会し、もう一度奥義六十四手を見たいと願い、しかしルオメイは静かに断る。その後、イップ・マンは多くの弟子を指導するも、それはもはや実践的な武術ではなかったた。こうして1つの時代が終わり、新しい時代を迎えたのである…。
いかがでしょう。この物語では3つの文化が消えていく姿を描かれているのです。1つ1つ取り上げてみましょう。
1:戦前の中国富裕層の文化
映画冒頭、中国上流階級による贅沢で退廃的な文化が描かれています。イップ・マン自身、裕福な家の生まれでしたので、このような文化に深く関わっていました。上流階級特有の符丁や嗜好など、「必ずしも必要ではない」からこその艶やかさがあります。
しかしこの怪しくも美しい文化も、日本軍の侵攻によって破壊されてしまいます。そして戦争が終わって日本軍が撤収した後には、ただ合理的なだけの近代的な文化だけが残りました。劇中でもかつて社交場であったサロンが、戦中には日本軍の怪しげなたまり場として、戦後には無残な廃墟として描かれており、それが冒頭に描かれた文化の美しさを際立たせ、それが消えてしまった寂寥感を醸し出しています。
2:八掛拳奥義六十四手
八掛拳の後継者であるルオメイは仇であるマーサンを追うことに固執するあまり、その奥義を誰かに伝えることが出来ませんでした。これで八掛拳の奥義は途絶えてしまうわけです。「もし日中戦争が起こらなかったら…。」恐らく多くの観客が思う事でしょう。
戦争がなければ拳を交わして心が通じ合ったイップ・マンに奥義が伝わったかもしれませんし、あるいは八掛拳の師として、ルオメイもまた多くの弟子を抱えることになったかもしれないのです。しかし時代の流れが無情にも八掛拳という文化を飲み込んでしまったのです。
3:実戦的中国武術
南北武術統一を果たすはずだったイップ・マンでしたが、戦争に巻き込まれ、その目的は果たされませんでした。イップ・マンの属した上流階級はなくなり、生活のために街の武術道場の師範代になります。しかしこの道場で教える武術とは、かつてイップ・マンやルオメイ、マーサンが習得したような実戦的なものではなく、いわゆるスポーツでした。
演武や護身術としては十分でしょうが、しかし本来は人を殺すための技術です。だからこそ、この技を使うことの意義が重んじられ、使い手の資質が問われたのです。つまり「道」であり、すなわち「武道」なのです。このような思想もまた、戦争によって失われたと言えるでしょう。
このような「文化の消えゆく様」が、独特の映像表現によって表現されています。特に「光と影」、「白と黒」のコントラストの表現にこだわっているようで、終盤以外、人物は暗めの色調に統一されており、対して背景は雪や光など、明るめの色調が選ばれています。このような配色が冒頭の退廃的文化を艶っぽく演出していますし、イップ・マンとルオメイ、ルオメイとマーサンの闘いのシャープなものにしています。
実際、この序盤中盤の「エッジの効いたモノトーン映像」は見るだけでもウットリしますが、そこに技を繰り出す人物のしなやかな動きが加わりますと、美しいを通り越して、どこかエロティックでさえあります。さらに中国映画お得意のワイヤーアクションが加わり、達人たちの異常なポテンシャルを楽しむことも出来ます。対して終盤は豊かな色彩となるのですが、しかしそれがどこか作り物っぽい、上辺だけの安っぽい文化を表現しているようでなりません。
ということで、映像もストーリーもとても良く出来た作品なのですが、いかんせんストーリーは少々急ぎ足ですし、劇中立ち位置のよく分からない人物が散見したりと、整理されていない部分も多くみられます。123分ですから仕方ないかもしれませんが、思い切って150分にして、各登場人物をじっくり描いても面白かったように思えます。が、それでも十分に楽しめる作品だと思いますので、お時間がありましたら是非ご覧くださいね。
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