本編とはなんだったのかの巻(金剛寺さんは面倒臭い 巻之七)

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 ということで、以前当ブログでご紹介した「金剛寺さんは面倒臭い」が完結いたしましたので、その雑感などをお話しようと思います。え~、この記事を読んでいる方ならあらすじなど知っておりましょうから、割愛。「いやだ!説明しろ!」という方はこちらからご確認ください。あ、以下の記事では堂々とネタバレしますので、ご了承ください。

 

 さて本作の代名詞と言えばやはり「本編とは大きく関わりのない物語である!」なのですが、結末において作者自らお話しているように、本編とはつまり「人間の繋がり、関係性について」でありました。

 なるほど、金剛寺さんと樺山くんが結ばれるまでには様々な人々との縁が関係していました。全く独立している人間は一人もいない、誰かの行動は必ず誰かに影響を与えている。そのごく当たり前の、しかし忘れがちなこの事実を、とよ田先生は非常識なまでに引き延ばして展開させてくれたのが本作だったわけです。ですから賛否あった蛇足編である六巻も、金剛寺さん達の関係性を描いていたわけですから、実は蛇足でもなんでもなかったと言えましょう。

 結局「本編とは大きく関わりのない物語である!」と言いながら、実は本編に収録された全てのエピソードは互いに関係があったという、いわゆるミスリードだったわけですが、しかし本当にミスリードだったのでしょうか?私はそうは思えないのです。

 そもそも「人間の関係性」を表現するにはどうしたら良いでしょう。この人とこの人は友達で、こちらは恋人同士で、実はこの二人は職場の同僚で…などと関係性を羅列すれば良いでしょうか?これは状況を記述してはいますが、本作はマンガ、つまり物語なので、ドラマ性が皆無のこの構造では見せ方としては実に退屈、まさに最悪と言えます。

 やはりベストなのは任意の人間を取り出し、この人間の営みにどのような人々が関わっているかを示し、加えてこの人間が何かを達成するようなある種の流れが設けられている構造であると思います。一人に絞った方が人間関係が分かりやすいですし、何かを達成することによって時間経過やその人間への感情移入も容易になり、全体像が掴みやすいからです。

 と、ここまでお話すればもうお分かりですね。本作における任意の人間とは金剛寺さん、どのような人々とは樺山くんや周りの友人達、達成される何かとは「金剛寺さんが人間として成熟する」ことです。

 本巻の中盤、晩年の金剛寺さんと樺山くんが描かれています。それはとても穏やかで、幸福な時間でありました。そして金剛寺さんの今際の時、実に印象的なナレーションが入ります。曰く、

 

「金剛寺は人間になったッ!もう面倒臭くはなかったッ!」

 

 そして本作で最も美しいフルカラーのシーンに移っていきます。これ以前に樺山くんと結ばれるシーンや、出産のシーンがありますが、しかしどう見てもここが物語のクライマックスです。金剛寺さんが人間になったこの瞬間こそ、とよ田先生の描きたかったシーンであり、この物語の本編、「関係性によって人間は成熟する瞬間」であったと思えるのです。

 それに比べれば、地獄対極楽の戦争など取るに足らず、というかあってもなくても二人は結ばれたはずですから、実はこれこそが「本編とは大きく関わりのない物語」であったわけです。ですからミスリードではなかった、と言えましょう。

 

 さて皆様はどのような感想をお持ちだったのでしょうか?お時間があれば当方にコメントをいただければと思います。

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todome

過去のホームページ時代より寄稿させていただいておりましたが、とある作品を完結させぬままに十数年すっかり忘れ、この度親方の号令により、再び参加と相成りました、todomeと申します。 主に小話を寄稿させておりますが、マンガ、ゲームにつきましても、今後ご紹介させていただこうかと思っております。どうぞお付き合いください。

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