島田虎之介という名前を聞いて、結構ピンと来る方は多いと思います。「トロイメライ」で何だったかの漫画賞を受賞し(氏の詳しい経歴は他の所にお任せします)、結構注目されたのですが、「ダニーボーイ」以来のここ数年、単行本を出していなかったのです。
私、心配しました。「一人の作家一生で書ける作品数はそれほど多くない」という言葉があるように、島田先生もその才能を使い切り、役目を終えてしまったのではないか、と思ってしまいました。というのは島田作品は画もストーリーも、非常に異質かつ複雑だからです。
島田作品ではトーンは使われません。あらゆる漫画的効果は手作業で表現されています。これはある種趣味的で、ともすれば自己満足とも取られかねないものでもあります。しかし実際のところ、氏の語る物語を視覚化するための最良の表現方法といえます。何故かと言えば、氏の語る物語とは、ある程度の史実に基づいているとは言え、「おとぎ話」と言えるからです。作品の内容に触れることは出来ませんが、氏の物語は「現実に起こりうる物語」ではなく、「日常を忘れるために訪れた劇場で行われる芝居」に近いものがあります。つまりおとぎ話なのです。そしておとぎ話にはリアリティーのある画は必要ありません。むしろ簡略化され、戯画となった画こそふさわしいわけで、したがって全て手作業で描かれたものとなるわけです。
さて最新作の「九月十月」はこれまでの島田作品の中でも、もっとも実験的であると言えます。まず読者は「登場人物の日常を一方的に眺めている」というスタンスに固定され、一般的な物語で行われる「読者に対する説明」が徹底的に排除されています。実際、これはかなり異常なことです。
漫画にしろ映画にしろ、私達に物語が提供される場合、暗黙的に説明的なセンテンス、あるいは場面が提示されています。それらはもちろん鑑賞者の理解を助けるものなのですが、反面、ともすると現実ではありえない不自然な筋となる危険もはらんでいるのです。
そこへこの「九月十月」は「読者に対する説明」を止めました。これにより読者は相当に積極的な物語解釈を要求されます。果たして積極的に解釈しない限り、この物語が何なのかは全く分からないものとなりました。しかしその結果物語世界はこの上ないリアリティを持つことになるのですが、この点もまた島田作品の中では異常なのです。何故なら先述したように、島田作品は「おとぎ話」であってリアリティーなど必要ではないはずだからです。
しかしながら、「九月十月」は間違いなく「おとぎ話」なのです。しかしそれは「現実に起こりうるおとぎ話」となっているのです。そこが今回の作品のもっとも特徴的、実験的な点であると思います。つまり現実と虚構という相反する属性を極限まで近づけようとした試みであると思います。
とはいえ、その試みがあまりにも露骨であるため、作為的に感じる場面もあります。もっと言えば、作者に試されていると感じる方もいるかもしれません。そこにこの作品の好悪が分かれるかもしれません。
しかし物語の全貌を理解した時のカタルシスは相当のものがある作品です。物語そのものの面白さも十分にあります。物語を掘り起こす感覚を味わいたい方にお勧めします。
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