私は暇さえあれば某書籍通販サイトを覗いています。その理由は好きな作家さんの新作情報を入手するためなのですが、多くは「なんか面白
…と、まぁ、いつもの書籍通販サイト云々の前置きは飛ばしましょう(↑コピペだし)。要はまた例の大手書籍通販サイトの「オススメ」に見事に引っ掛かって惹かれて…、いや、この前に読んだ「FLIP-FLAP」が面白かったことの方が理由としては大きいですね(ささやかな抵抗)。単純に「この作家さんは、他にどんな作品を描いているのかしら」というヤツです。そう、追いかけ始めたのですね。
そんなわけで今回ご紹介する作品は、とよ田みのる氏の「タケヲちゃん物怪録」です。
舞台は現代の日本、主人公の稲生武夫(いのうたけお)、タケヲちゃんは入学したての女子高生。しかし、生まれてこの方不幸な目にばかり遭っています。好きな人に振られるとか、お菓子を買いに行ったら売り切れとか、そんな穏やかなレベルではなく、入学式早々、天井のライトが落っこちてきます。
しかしタケヲちゃんは生まれてこの方不幸であったために、この手のアクシデントにはすっかり慣れてしまっており、落ちてきたライトも軽々と受け流します。その堂々たる身のこなしに、感心したクラスメイトと一緒に帰る機会を得ますが、しかしタケヲちゃんは黙々とヘルメットにゴーグル、プロテクターで完全防備します。
これを見たクラスメイトはドン引きしますが、そこはやっぱり不幸体質ですから、タケヲちゃんは車に水を掛けられたり、スパナが降ってきたり、バナナの皮で滑って銀行のガラスドアに突っ込んだりしてしまい、完全防備がガチであることを見せつけられ、クラスメイトは一層ドン引きしてしまいます。
さらには不動産屋の手違いで入居するはずの寮に入れず、代わりに築100年のボロアパートに入居する羽目になってしまいます。タケヲちゃんは「いつものこと」とドライですが、しかしそんなタケヲちゃんにも想像出来なかったのは、そのアパート「百鬼荘」が妖怪たちが巣食う妖怪屋敷だったことでした…。
…というわけで、この作品は不幸少女タケヲちゃんと妖怪たちの物語なのですが、しかしホラーではありません。
というのも、入居した夜、早速妖怪たちがタケヲちゃんを驚かせようとするのですが、妖怪たちの妖力よりもタケヲちゃんの不幸体質の方が上回ってしまい、タケヲちゃんの不幸に巻き込まれ、妖怪たちは驚かすどころか逆に(地味に)痛い目にあってしまうのです。堪らず妖怪たちは退散してしまいます。
それでもなんとかタケヲちゃんを驚かせようと、毎晩毎晩妖怪たちは部屋を襲撃しますが、その度にタケヲちゃんの不幸体質に負けてしまって、やっぱり(地味に)痛い目に遭ったり、あるいはタケヲちゃんは不幸慣れしてしまっているので全然驚かなかったりと、連戦連敗を喫してしまいます。
あまりに驚かないタケヲちゃんに、妖怪たちは逆に不安になり、自分たちの存在意義に疑問を感じ始めてしまう始末です。そりゃそうです。妖怪とは「驚かれてナンボ」なわけですから、全く驚かれなかったら彼らのプライドはズタズタですし、何よりも妖怪たちが人間を驚かせようとするのは、その時に人間から飛び出る「陰の気(人間の負の感情に憑りつく魔)」が彼らにとってのご馳走であるからなので、つまりは死活問題でもあるわけです。結局お手上げとなった妖怪たちは降参しようと、スゴスゴとタケヲちゃんの元を訪れます…。
と、このようにドタバタ満載のギャグマンガなのです。しかしこれだけだと、単に人間と妖怪の立場が逆転しただけの物語なのですが、ここで物語にひとひねりが加わります。
…降参の旨を示すと、タケヲちゃんは申し訳ないことをしたと、百鬼荘を後にしようします。その時、妖怪たちの長、山本六郎左衛門(さんもとろくろうざえもん。愛称「ムーちゃん」)のある行動がタケヲちゃんを初めて驚かせ、遂に陰の気がタケヲちゃんから飛び出たのでした。
不幸体質のタケヲちゃんから飛び出た陰の気は大層美味であるらしく、妖怪たちは陰の気欲しさにタケヲちゃんを引き留めます。今まで自分の不幸体質のために人から疎まれてきたタケヲちゃんにとって、それは初めてのことでした。早速タケヲちゃんは妖怪たちと協力(?)して、何とか驚けるように奮闘を始めるのでした。
と、前代未聞の「主客協同によるサプライズ計画」が始まるわけです。このドタバタ劇を見るだけでも面白いのですが、しかしこの作品において重要なのは、陰の気を放出することによって変化していくタケヲちゃんの心なのです。
タケヲちゃんは不幸体質であるが故にヒドイ目に遭い続け、結果陰の気を溜め込み続けて来ました。なるほど、陰の気は「人間の負の感情」、つまり不安、寂しさ、悲しみなどに憑りつく魔ですから、不幸だらけのタケヲちゃんならイヤというほどこれらの感情を抱いてきたでしょう。そして恐ろしいことに、陰の気を溜め込みすぎると人間らしい感情を失っていくのです。冒頭、天井のライトが落ちてきても冷静に対処し、たらい回しの末、百鬼荘に転がり込んだ時でもドライだったのは、実は陰の気による感情の欠落だったのかもしれません。
しかし妖怪たちと協力して積極的に驚き(?)、陰の気を放出していくことで、タケヲちゃんはだんだんと人間らしい感情を取り戻していきます。それは花火を綺麗だと感じ、食べ物を美味しいと感じ、自然を美しいと感じる心、つまり「何かに感動する心」を取り戻していくのです。
また、これまで不幸体質のために一人ぼっちだったタケヲちゃんは、「主客協同によるサプライズ計画」を通して、妖怪たちと交流を深めていきます。妖怪たちは人間のように建前や打算などなく、良くも悪くも実にストレートに接してきますから、ある種スパルタ式に対人関係(?)を経験していくことになります。
少々荒っぽい感じもしますが、しかしこれまで自分の不幸に巻き込まないよう、他者との交流を避けてきたタケヲちゃんにとっては効果は劇的でした。それは「剥き出しの感情」に接することであり、強くタケヲちゃんの心を揺さぶり、タケヲちゃんの心の一部となっていったのです。
つまり「誰かに必要とされる喜び」を通して「誰かを必要に思う」ようになり、「誰かに大切に思われる温かさ」を通して「誰かを大切に思う」ようになり、「誰かに感謝される幸せ」を通して「誰かを感謝する」ようになり…。タケヲちゃんは「誰かに想われること」を通して、「誰かを想う心」も取り戻していくのです。
これら人間らしい心を取り戻すにつれて、タケヲちゃんの仏頂面だった表情も、次第に柔らかく、愛らしくなってきます。物語が進むにつれて、タケヲちゃんは本来の素敵な女の子へと戻っていくのです。実際、物語冒頭では恐ろしく表情に乏しいタケヲちゃんですが、物語の終盤では表情豊かな、魅力的な女の子として描かれています。私はこのギャップにスッカリ参ってしまいました。これはある種の「萌え」ですね。
このように、この物語は妖怪ドタバタギャグマンガではありますが、「人間らしい心」とはどのようなものなのかを、タケヲちゃんの再生を通して描いているとも言えます。そして感動することの素晴らしさや仲間の大切さを実にストレートに描いている作品でもあります。実際、読んでいるこっちがこっ恥ずかしくなるようなセリフがガンガン出てきますので、訳知り顔の大人になっちゃった人は赤面必至でしょう。しかし赤面しながらも、それらのセリフに強く共感する自分にも気付くはずです。それこそが人間らしい心と言えるのかもしれません。
さて「FLIP-FLAP」の時にも述べましたが、とよ田氏の絵柄は非常に特徴的、かつセリフも先述のようにド真ん中ストレートなので、作品世界に馴染むには少々苦労されるかもしれません。しかし全7巻を読み終えると、この絵柄、このセリフ以外に有り得ないと感じてしまうから不思議です。
特にこの作品では、どうやらとよ田氏は藤子不二雄先生の大ファンであるようで、絵柄や擬音から強い藤子先生へのリスペクトがヒシヒシと感じられます。特に「怪物くん」を強く意識したのではないかと思われます(もちろん、パクリではありません)。藤子ファンなら是非読んでいただきたい作品です。
…さて何事にも動じないタケヲちゃんは、何に驚いたのでしょうか?そしてどうしてここまで不幸なのでしょうか?それは本編を読んで確かめていただくとして、こちらで試読出来ますので、お気に召しましたら手に取ってみてくださいね。
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