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これまでに色々な恋愛をしてきたけれど、今回みたいな結末は初めてだった。実際私の身には起こらないだろうと思っていたのだけれど、それは単に私の経験不足だっただけのことなのだろう。私はまだまだ子供だった、それだけのこと。
まさか、私の方が捨てられるなんて。
彼が二股を掛けていることを知っても、何故か私は焦らなかった。私の方を選んでくれると確信していたから。自信とは違う、何か運命的なものを感じていたから。しかしそれもまた、私の経験不足から来たものなのだと、今は痛いほど感じている。
涙は一滴も流れなかった。捨てられた事実が信じられなかったからか、
まだ彼のことを信じていたからなのか。ただ悪寒のような、目眩のような、とにかく不愉快な気分だけがあった。しかし事実、三日間も部屋に籠もりきりだったから、傍目から見れば十分に感傷に浸っていたように思う。
それから私は気の向くままに街に出た。自然と足は歩きなれた街並みへと向かうが、それに気付くや否や、私は深く後悔した。
歩きなれた道。それは彼と歩いた道でもあった。石畳や街灯、店の一つ一つに、彼との思い出が塗りこめられているのである。それを目にするたび、私の脳裏には彼とのひと時が浮かび上がるのだ。今の私には苦痛以外何物でもないのに。
私は目を伏せ、歯を食いしばり、足早に街並みを通り過ぎた。気が付けば自分のアパートの前に立っていたが、頭の中では未だ、楽しくも苦しい思い出が繰り返されている。
その時初めて私の目から涙が零れた。途端に感情が吹き出して、部屋に入る頃には激しく嗚咽していた。感情を飲み込もうとしても、涙がそれを許さない。呼吸するのを忘れるくらいに、私は泣き続けた。
しかし二週間もすると、そんな感情の波も収まってきた。それも波は不意に甦ってくる。きっかけは何でも良い、車でも、パスタでも、星空でも、不意に彼との思い出が甦ってくる。涙が溢れることはないが、しかし堪らない、息苦しい気持ちになる。自分は気丈な人間だと思っていただけに、この感情の暴走はショックだった。
忘れようと努力はする。しかしそれは意識のどこかに彼との思い出を浮かび上がらせていることにもなる。だからなのか、思い出の再生はより深く、詳細になっていく。最初は静止画だった記憶が、やがて動き、言葉を発し、辺りのざわめきまでも再生する。
私に出来ることは、ただ耐えることだけだった。
再生を繰り返すとテープが擦り切れるように、彼との思い出もやがてぼんやりとしてきた。やはり時が全てを解決してくれるのだろうか。時間だけが全てを忘れさせてくれるのだろうか、そんなふうに考えていた、ある日。
会社からの帰り道。地下鉄のホームで電車を待っている時だった。何の気なしに目を向けた反対側のホームに、彼が、いた。
彼だけだったら、私も平気だったと思う。しかし彼の横には選ばれた人が、彼の妻が、幸せそうな表情で立っていた。二人は楽しそうに談笑し、時に頬を寄せ合って笑っていた。
その光景を見た途端、私の中で眠っていた感情が目を覚ました。忘れていたのではない、ただ思い出さなかっただけ。その事に気づいた時にはもう、私の頭の中は彼との思い出で満ち溢れていた。そして息の詰まるようなあの感情が私を包む。
不意に彼が顔を上げる。そして私と目が合った。彼の表情は見る見る強張り、直後に電車がホームに滑り込んできた。あの後の彼の表情は分からないが、きっとプラスの感情を示したものではないだろう。
私は電車に乗り込み、ドアに額を押し付けて震えた。声を殺して、腹に力を込めたが、それでも涙を止めることは出来なかった。目的の駅に着くまで、私は涙を流し続けていた。
部屋の真ん中で、私はぼんやりと宙を見ていた。確かにこれまで多くの失恋を重ねてきたけれど、これほど辛いものはなかった。いつもは幾らかの悲しみと、ほんの少しの照れと、大部分の悔しさだけで済んだのに、今回は悲しみを越えた感情がほとんどだった。
感情だけなら涙を流せば消えていく。しかし今回は残酷なまでに鮮明な思い出が再生される。あの時の深い愛情が、今度は私を苦しめているのだ。
感情だけなら、どんなに楽だろうか。どうして私は忘れられないのだろうか。
「いらない‥。」
小さな声で、私は言った。
「こんな、思い出は、もういらない‥。」
擦れた声で、私は言った。
『早く忘れたい‥‥!』
心の中で、私は叫んだ。
視線も定まらないまま、私はソファに腰を下ろした。と、部屋の隅に放り投げられた雑誌に目が留まった。その裏表紙にはこんな広告があった。
『何でも無限に記憶できる・驚異の記憶術!』
どうして人は記憶したがるんだろう?何を覚えておきたいんだろう?
不意に浮かんだその疑問は、妙な形で頭の中に留まった。
私は手元にパソコンを引き寄せて、検索エンジンを立ち上げた。そして入力する。
『忘れる』、と『方法』を。
ガリガリとパソコンは鳴き、そして結果が映し出される。
その時の私の驚きは表現できない。ただ誘われるように、
『「忘れる」ということ・忘却術について』
誘われるように、そのサイトへジャンプした。
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過去のホームページ時代より寄稿させていただいておりましたが、とある作品を完結させぬままに十数年すっかり忘れ、この度親方の号令により、再び参加と相成りました、todomeと申します。 主に小話を寄稿させておりますが、マンガ、ゲームにつきましても、今後ご紹介させていただこうかと思っております。どうぞお付き合いください。
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