ということで、このところ特筆すべきネタがないので(主に「ガリガリ君 たまご焼き味」がスマッシュすぎた)、今回はつらつらと最近読んだ本のお話をしようと思います。そんな人はいないと思いますが、わたくしtodomeの書く記事をつぶさにご覧になる方ならばお察しの通り、私はなかなかSFが好きでして、今回ご紹介する本もことごとくSFでありますので、「SFはF先生で十分だ!」というお方には、「次回は『魔界村』やるよ!」と予告することでお許し願えればと存じます(もっとも「血風録」も読んでいる人がいるかも疑問ですが)。
さてSFに限らず、最近の私が読む本はむかしむかしの物ばかりでして、ですから今回お話する作品もむかしむかし、1940年代から1970年代の作品という事になります。なんでこんな昔の作品を読んでいるのかと言いますと、ネットが発達した昨今、いわゆる「名作」は多くの書き手によって取り上げられ、したがって何度も目にすることになり、結果読んでもいないのに「読んだ気になる」ことが往々にしてあるわけです(ダイエット器具でも同様の現象が起こることがWHOの調査で明らかになっていない)。
つまり「名前は知ってるけど、読んだことがない」という作品が出てくるのですが、しかし気まぐれにも「ここはひとつ実際に読んでみよう」という気になったわけです。その気になればネット上のあらすじを読んで済ますことも出来るでしょうに、実際に手にとってみようと思った私は、百歩譲っても大いに褒められるべきだと思いますが、別に褒められるために本を読んでいるわけではないので、気の向いた方だけ褒めていただければ結構です(寝言かつ妄言)。
しかしながら今は2019年、どの作品も発表からかなりの歳月が経ってしまいましたから、当時の時代背景や風俗を加味しなければ分からない表現も当然あるわけで、その点を私が豪快に誤読している可能性が多々ある点はどうかご了承ください。あと、SFは好きですが詳しくはありませんので、「歴史的名作!」と言われても全くピンと来ないポンコツであることもご承知ください。
・「非Aの世界」 ヴァン・ヴォークト 1945年
てなわけで、一発目。結構有名な作品ですが、私は本屋の棚で見かけて初めて存在を知りました。で、裏表紙のあらすじを読み、「歴史的傑作」とあるので勉強の意味合いで手に取りました。
で、そのあらすじなんですが、主人公ゴッセンがあるゲームに参加するためにとある町に来まして、参加受付において自分の記憶がニセモノであることを知る、というところから話が始まります。なかなか面白そうな出だしですし、なんか映画「トータル・リコール」を思わせます(事実、この映画の原作者ディックは「非Aの世界」にかなり影響されたらしいですね)。
さて読み終わった感想ですが、「全然分からなかった」でした。次々に事件が起こり、ゴッセンはそれらを乗り越えていくのですが、正直それらの事件が「何が起こっているのか分からなかった」のです。
ゴッセンには特殊な能力があり、各勢力がそれを狙ってゴッセンを追っているのですが、その能力で何をしようとしているのか、もっと言えばその能力が何なのかが全く分からず、加えて「誰か」が地球に攻めてくるらしいのですが、それがゴッセンとどういう関係があるのかもよく分かりませんでした。
巻末の解説にはこの作品の「物語の加速度」と「雰囲気の濃度」を力説していましたが、何が起こっているか分からなければ加速度もへったくれもねぇじゃねぇか、と思ったのでした。事実、本作は300ページほどですが、50ページのあたりで話が、というか何が起こっているのか全く分からなくなり、残りはただ文字を追っているだけでした。なかなか歴史的名作ってのはむつかしいですね。一応続編があるようですが、色々無理なので諦めました。
・「宇宙船ビーグル号の冒険」 ヴァン・ヴォークト 1950年
ヴォークトってこんな感じなのかしら、と自分の感性に疑問を持った私は、よりメジャーで有名なヴォークト作品に手を伸ばすことにしました。それが本作でありまして、宇宙船ビーグル号に乗り込んだ1000名の科学者たちが遠い銀河を目指して旅をする、というお話。なるほど、大海賊時代大航海時代的なアレか、と私は理解したものです。しかし思えばこの理解の仕方がそもそもの間違いであったようです。
結論から言いますと、宇宙船ビーグル号は冒険しません。確かに最初は別の惑星に降り立ってそこの文化を研究しますが、基本的にひたすら虚空を飛び続けます。じゃあ何が起こるのかと言いますと、異星人と遭遇して戦います。ひたすら戦います。で、紆余曲折の末、勝ちます。
まぁ、私が思い描いた冒険が魔境を踏破する、いわゆる「川口浩探検隊」でありましたから、このような異星人との戦いを「冒険」と捉えられなかったのは私のせいでしょう。ただ、この異星人との戦いのほとんどが地球人側の内輪もめで構成されているのは、ひいき目に見ても「コレ、冒険かしら…?」と私が思ってしまったのも無理はないような気がしないでもないのです。
あとは異星人の攻撃に対する反撃方法がいくら読んでもよく分からず、結局何が起こっていたのか分からないまま終わってしまったエピソードがあり、正直「あぁ、ヴォークトってこういう人なんだな」と妙に納得したのでした。なかなかオールタイムベストってのはむつかしいもののようです。
・「汝、コンピューターの夢」 ジョン・ヴァーリィ 1970年代
以前ご紹介したコードウェイナー・スミスの「人類補完機構シリーズ」は大変面白かったですが、これに並んで有名な未来史に「八世界シリーズ」というのがあります。本作はこのシリーズの第一短編集で、やっぱり書店の本棚で初めて存在を知り、裏表紙のあらすじで「こんなのもあるのね。」とボンクラ炸裂の期待感で手に取った作品であります。
で、このシリーズの世界観ですが、「謎の超越知性によって地球は占領され、人類は宇宙に追放された。しかし太陽系外縁において謎の通信ビームを発見、そこに記録された科学技術を用いて、人類は太陽系のあちこちで文明を築く。これを『八世界』と呼んだ。」というもの。なかなかステキな背景です(何故か「メタルブラック」を思い出した)。
この科学技術によって、人類は性転換や身体の交換、記憶のコピーや惑星改変などの劇的な進歩を遂げており、そんな世界における市井の人々を描いたのがこのシリーズというわけなのです。
作品内では実に多くの魅力的なガジェットやテクノロジーが惜しげもなく披露され、しかしそれらテクノロジーが物語のメインではなく、むしろそれを使う人々の人間模様が中心となっており、テクノロジーによって人類の価値観がどのように変化していくのかを巧みに描いています。
このように、本作はワンアイデアで押し通す部類の作品ではなく、驚くべきテクノロジーを示しつつ、しっかりと人間を描いており、大変面白い作品集となっています。なっていますがね、しかし、どうして本作の登場人物はすぐにセックスを始めてしまうのでしょう?
確かに本作の最初のエピソードにおいて、セックスが大変カジュアルなものになったことが記されています。しかし自分を殺そうとしていた相手と急にセックスを始めるのはどうなんだろ。さすがに行為の詳細は描かれていませんが、どうも作者は本当は「SFポルノ」でも書きたかったんじゃないか、と訝しんでしまいます。
ですから、面白いエピソードであってもすぐにセックスシーンにぶつかってしまい、その繰り返しなので正直食傷気味になり、急に冷めます。同じカジュアルエロでも道満先生みたいにスタイリッシュにすればいいのに、と思いますが、これが書かれたのは1970年代ですから、比べるだけ野暮ですね。なかなか未来史というのもむつかしいもののようです。
で、現在はアルフレッド・ベスターの「虎よ、虎よ!」を読んでいます。これも名作として名高いようで、確かに第一部は大変面白かったのですが、第二部に入るや否や、何だか怪しくなってきました。もし素敵な結末になりましたら、ここでお話するでしょうし、しなかったらお察しください。
え?文句ばっかりだって?ですから「たまには悪者になろう」ですよ。
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